老人介護施設に「寝たきりの大黒柱」が山ほどいる

ひと昔前の日本では、老人介護といえば「同居する長男の嫁の仕事」とされていた。都会に嫁いだ娘(長男の妹)は「私は他家の人間だから」と知らんふりしつつも、親が「床ずれ」や「肺炎」のような状態になると、「誰のせいで、こうなったの?」と長男や長男の嫁を責めたてた挙げ句に、親の介護を引き受ける長男家族が相続するという話は反故になり、娘も遺産の分け前をもらう……というのが定番の「もめ事ストーリー」だった。

今の日本で、この「同居長男の嫁」に相当するのが介護職員なのだろうか。2014年には、介護老人保健施設を利用していた80歳の男性が、ロールパンをのどに詰まらせて窒息し低酸素脳症になったとして、男性と家族らが損害賠償を求め、鹿児島地裁が約4000万円の支払いを命じるというケースがあった。そのとき鹿児島地裁は「小さくちぎったものを提供する義務があった」との判断を示した。こうした判決が次なる介護訴訟を呼んでいることは想像に難くない。

▼寝たきり老人に際限なく延命治療をリクエストする家族

老人介護施設など日本の療養型施設には「寝たきり大黒柱」と思われる人が数多くいる。現在の社会保障制度では、医療費の自己負担額には上限がある。そのため、年金(あるいは生活保護費)支給額から、その医療費を差し引いてもそれなりの額が残ることがある。

これを目当てに、家族が寝たきり老人に対して際限なく延命治療をリクエストするケースが後を絶たない。それは、愛する親を死なせたくないという気持ちゆえの「懇願」であることもあるが、「金目当て」であることもある。医師が延命治療を拒否することはできない。業務上過失致死傷で告訴されるリスクが伴うからだ。

地方の療養型病院に行くと同様の患者ばかりなのか、歩いたり会話したりする人間が全く存在しない病棟をしばしば目にする。医師としても、納税者としてもやりきれない思いのする光景である。また、これは近年、「若手医師が地方勤務をイヤがる」という理由の一因ともなっている。

▼ヒデキ、最後の選択

先日、昭和を代表する大スターの西城秀樹氏が亡くなった。葬儀の司会を務めた元アナウンサーの徳光和夫氏がこう言った。

「意識はないが心臓が動いている状態で、延命策をどうすべきかという話が家族で出ていた。3人のお子さんが『パパは本当に頑張ってきたから休ませてあげたら』と言い、奥さまはその一言で延命をやめたと聞きました。お子さんたちは立派に育った」

徳光氏はこう故人をしのんだそうだが、私も同感である。

年金や生活保障費は、映画のように家族みんなで鍋をつついたり、孫を連れて海に出かけたりするような日々のために使うべきものである。愛情なのか惰性なのか「商売」なのか、判然としないまま、物言わぬ老人をベッドに縛り付けてチューブで栄養剤を注入する行為は、おそらくは患者本人も家族も病院関係者も納税者も……誰も幸せにはしていない。