外資系証券会社でバリバリ働く29歳が、NYヤンキースの田中将大投手とともに甲子園を戦った元高校球児と聞いたら驚くだろうか。しかも高校卒業後、米メジャー球団からドラフト指名され、現地でプレーした経験もあると聞いたら、どうだろう。そんな奇跡的な半生を紹介しよう――。
今も丸刈りヘアの鷲谷修也さん。撮影=清水岳志

なぜ東京・大手町で元プロ野球選手が活躍できるのか?

東京・大手町――。世界有数のビジネスセンターであり、日本経済を牽引する大企業の本社が密集している。そこで、ひとりの元高校球児が活躍しているのをご存じだろうか。

鷲谷修也(わしや・なおや)さん(29)だ。

鷲谷さんは高校3年のとき、南北海道代表・駒澤大学付属苫小牧高の「5番・右翼手」として夏の甲子園に出場。決勝では西東京代表・早稲田実業と「引き分け再試合」を闘い、惜しくも準優勝となった。そのときのエースは、鷲谷さんと同学年の田中将大投手(現ニューヨーク・ヤンキース)である。

いま鷲谷さんは、東京・大手町にある外資系証券会社の営業マンとして働いている。高校の同期はその後、地元自治体職員、建設会社、JA、自衛隊などの職に就いている中、鷲谷さんが進んだ道は極めて異色だ。収入は「客観的に見たら、同年代よりは多いと思います」と言う。

マイナビ「2017年度 業種別ランキング」によれば、「証券・投資銀行」のモデル年収は845万円で、「ベンチャーキャピタル」(1204万円)に次ぐ2位だった。しかも、同じ証券会社でも外資系となると、実績や評価でそれより高い収入を得ることもある。もちろん逆に実績が乏しいと収入は下がる。そういうシビアな世界で働いているわけだ。

▼「スワップ・国債利回りのデリバティブなどを扱っています」

鷲谷さんの名刺には「市場営業本部 金利商品営業部 債券営業グループ」とある。鷲谷さんは自身の仕事についてこう話す。

「日本国債の営業チームに所属しています。スワップ・国債利回りのデリバティブなどを扱っています。顧客はメガバンク、生命保険、年金機構など。海外のヘッジファンドなどの手伝いもしています」

営業マンとして求められているのは、顧客の要望を聞き、売りたい人と買いたい人のベストのマッチングを探ること。その絶妙のタイミングを社内のトレーダーと見計らいながら利益を生み出すのだ。顧客と自社の利益を確保しなければ成功とはいえない。常にリスクと向き合う厳しい仕事だ。

「どういうトレードがお客様にとって最善か、常に考えています。お客様には『一緒に勝ちましょう』とお伝えしています。僕のビュー(読み)が当たったときはうれしいですね」

飲食やゴルフなど接待も多い。得意先に「マラソンを走ってみてよ」と言われればきっちり42.195キロを走り切る。野球の練習でさんざんランニングの基礎トレーニングをしてきたからこそ、そうした“無謀”な要求にも対応可能なのだ。

かつてのユニフォーム姿から、スーツに着替え、「肩で風を切る」ように働く鷲谷さん。彼は単なる「元甲子園経験者」ではない。高校卒業してからの数年間には、ドラマチックな栄光と挫折の繰り返しがあった。