一般的に「死にたいですか?」という質問には、「いいえ、死にたくはありませんが……」と返ってきます。幼い頃から、「命は大切に」と教育されているからでしょう。「死にたいですか」と尋ねていた若い頃の経験では、ほとんどの患者さんが「死にたくはないですけど……」と口ごもりました。

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そこで今は次のように尋ねています。「時々隙間風が心にスーッと吹き込みませんか?」「もうすべてを投げうって、どこかに消えてしまいたいよね」といった聞き方です。自殺念慮にさいなまれる方は、ほとんどが、震えつつ静かにうなずかれます。

私が尊敬し若い頃指導を受けた神田橋條治医師(現伊敷病院医師・鹿児島県)は「死にたいと思うこともあります」と尋ねることを勧めておられました。この質問により、うつ病を確定するとともに、何とかここまで実行せずにたどり着いた患者さんに対する、支持を表明し理解を示します。次に「自殺を思いとどまるのにはどうしたの?」と静かに語り掛け、そのおぞましい衝動に対する対処法を探っていかれました。

「約束」という言葉は、臨床では見たことがない

繰り返しますが、自殺念慮・企図はうつ病の必須の症状と考えられます。ではこの症状を出さないように約束しなさい、とはどういうことでしょうか。

例えば「肺炎」の治療の教科書に、患者と「発熱をしないように」約束しなさいという記載があるでしょうか。ありませんよね。それは発熱が肺炎の代表的な症状だからです。

精神科の大家でさえ間違えてしまう約束の記載がなされた理由は、以下の2つに集約されるのではないでしょうか。

1.自殺念慮・企図はうつ病の症状とは違うものである(自らコントロールするように努力すべきものである)という道徳的・倫理的立場にやはり立っている。
2.うつ病は「死にたくなる」というあらがえない感情が生じる病であるという理解がやはり今一歩足りない。

結局「うつ」に対する理解不足によるものであり、加えて、臨床の場でこのような「約束」をとりつけよとは、約束が可能だという医師側のある種の傲慢さにも起因するものなのでしょう。