まだ訪問販売中心の時代。初めてドアチャイムをドキドキしながら押した。出てきた女性は「娘がシミを気にしているの」と言う。翌日、スキンチェックのために再訪し、お客さまになってもらった。

「なんて面白い仕事だろうと思いました。CAのお客さまは会社のお客さまですが、ポーラでは自分のお客さまができて、自分の説明で商品を買っていただけ、それが収入になるのです」

しかしそう簡単に業績は伸びない。「向いていないな」と何度も思った。

「最初は、半年頑張ろう。半年たつと何人かお客さまができたので、お客さまのためにもう少し頑張ろう。そのうち訪問先で興味があるとポーラに入ってくれた人がいて、その後輩のためにもう少し頑張ろうという気持ちでした」

4年が過ぎ、ポーラ ザ ビューティーのオーナーに挑戦することに。

ところが最初から波乱含み。新店では、大阪狭山市から堺市に職場が移る心配や、歩合制への不安で、オープン早々1人を残し、主力メンバーが辞めてしまったのだ。もう1度、リクルートし直した。始めて3年間は人間関係がギクシャクした。

「私は店を守るために必死でやっていたので、頑張れない子がいると、なんで頑張れへんのと思ってしまいました。言葉には出しませんが、やっぱり心で思っていることが伝わってしまう。すごく嫌われました。人の上に立つとこんなに嫌われるのかというくらい(笑)」

1度は、嫌われても人が育つならそれでいいと割り切った。しかし1人で育てることに限界が来る。スタッフの中で1番力があると見込んだ人にマネージャーを頼み込んだ。

最初は「私はマネージャーになんかなりたくない」と抵抗された。話し合いを重ね、何度もけんかしつつも最終的にリーダーになってもらった。そのスタッフがマネージャーに。すると「一緒にお店をよくしていきましょう」と今まで聞いたことのない言葉を口にした。

「人を束ねる立場になると、こんなに人は成長するんやなと驚きました。スタッフをマネージャーに育てるのが自分の仕事だと思いました」

2013年、天正さんは業績やマネジメント力が評価され、グランドオーナーに昇格する。天正さんが育てたスタッフがオーナーになり、そのオーナーがスタッフを育てる。

「家族が増えていく感じ。私はひいおばあちゃんくらい」と笑う天正さんの目はさらに先を見る。

「今後の私の役割はグランドオーナーを育てること。ポーラは歴史があり、その中でお客さまへの愛情とか、人を本気で育てようとする風土が受け継がれています。私もそれを次の世代に引き渡すのが仕事かな」