疑問を封じ込めたら、その場にいないのと同じ
もちろん、社会や組織の中でそのように問いを発するのは、一方で勇気が必要な行為でもあるでしょう。自分には知識のないテーマについて、専門家に質問を投げかけたら笑われるかもしれない。上司や同僚に「面倒な人だ」「うるさい人だ」と思われるかもしれない……そんなふうに感じて萎縮してしまう人も多いのではないかと思います。
私も最初はそうでした。父親の仕事の関係でアメリカでの暮らしが長く、日本で教育を受けた期間が短かった。さらにNHKの職員ではない私は、番組のスタッフの中で常に異質な存在でした。NHKのキャスターとして働き始めた当時の私はコンプレックスの塊でした。何かを疑問に感じても、それを疑問に感じているのは、日本のことを詳しく知らない自分だけなのではないか。そんなふうにいつも不安だったんです。
それでも、「知らないから」といって自分の中に生じた疑問を封じ込め、黙ってしまったら最後、その場にいないのと同じことになってしまいます。むしろ、知らないからこそ、知っている人に素朴な問いを投げかけられる。それを続ける中でだんだんと、「なんだ、自分だけが抱いた疑問じゃないんだ」と気づいていったんです。
会議では素朴な問いかけから、新たな議論が始まっていくことが無数にあったものです。組織や社会の中でのその人の付加価値とは、問うことによってつくり上げていくものなのだと、私は確信するようになりました。
カルロス・ゴーンの「問う力」
問う力――質問をするという行為は、一つの物事に対するさまざまな見方を浮かび上がらせます。
カルロス・ゴーンさんをインタビューした際、彼がこんなエピソードを紹介してくれたことがありました。彼は「今後、会社をどう成長させるか」というテーマでディスカッションをするとき、必ず「成長」という言葉の定義をその場にいる全員に質問するそうです。
なぜなら「成長」と一口に言っても、ある人は「1%」でも業績が伸びれば、それを成長と捉えるかもしれない。一方で別の人は「5%」でなければ、成長とは言えないと考えているかもしれないからです。
同じ問題意識を持っているように見える人たちでも、議論の前提となる基本的な言葉の定義すら共有していない場合が多々ある。そんな中で、「成長とは何か」という一つの質問が、みんなが「当たり前」と捉えていた物事の本質を浮かび上がらせ、後の議論を活発化させるというわけです。