大量の資料を自宅に持ち帰る
「クローズアップ現代」の放送は月曜日から木曜日までの週4日間。毎週、木曜日の放送を終えると、私は記者やディレクターの方たちが集めた大量の資料を紙袋に入れ、自宅に持ち帰っていました。
情報をインプットする順番はまず新聞記事、次に一般的な雑誌記事、それから専門的な書籍に目を通します。そして、最後に番組のゲストとなる方の著作を読み、知識を深めていきます。最初に新聞記事から読むのは、視聴者がよく目にしている媒体だからです。
情報の整理は特にしませんが、大事なのは最初の資料を読み始めた際に自分が感じた疑問を、学びを深める過程において常に忘れないようにすること。なぜなら、専門家ではない私が新聞記事などを読んで最初に抱いた疑問は、視聴者が抱く疑問とも重なるはずだからです。
知識や情報というものは、増えれば増えるほどディテールが気になっていくものです。でも、番組において私が目指していたのは、一つの問題の本質の部分を、いかに柔軟に、俯瞰して提示できるかでした。物事の本質を見失わないようにするためにも、初めに抱いた疑問を重視する姿勢が大切だったのです。
「当たり前」を常に問う
物事に対する先入観や思い込み、固定観念を持つことの怖さを私に教えてくれたのは、多くのゲストの方々だったといえるでしょう。
例えばいまでも強く心に焼き付いているのは、「母の日」の企画で永六輔さんを番組にお呼びしたときのことです。
その日の打ち合わせで、番組で使用する母親への感謝のさまざまな形をVTRで見た後、永さんは、「生きているお母さんには赤のカーネーションを贈り、亡くなったお母さんには白のカーネーションを供えるのは酷な気がする。なぜ区別するの」と話されました。そして、放送の中では、構成をなさっていた生放送のバラエティー番組「夢であいましょう」での体験を話されました。
それは同じ「母の日」の放送で、番組の終わりに出演者が1人ずつ、母親へのメッセージを言う趣向があったそうです。ところが、その中に1人だけ、何も言わなかった人がいた。放送後に話を聞いてみると、その人は「自分には母親がいない。だから、一度も『お母さん』と言ったことがないんだ」とおっしゃった、と永さんは振り返りました。そのとき、永さんは「母親のいない人にとって、『母の日』はつらい日なのかもしれない」と、はっと気づかされたと言うんです。私はこの話を聞いたとき、自分がいつの間にか持っている思い込みというものが、いかに危ういものであるか、先入観の怖さを教えられた気がしました。
永さんの語ったこのエピソードが象徴するように、番組でのゲストとのやり取りを通して私が学んでいったのは、ときに素通りしそうになる「当たり前」に対して、「本当にそうだろうか」と常に問う姿勢の大切さだったように思います。物事に対して常に問いを持つ姿勢こそが、思い込みや先入観から自分を自由にしてくれる唯一の方法なのだ、と。