新しい安倍内閣が8月3日、発足した。スキャンダルがなく、答弁が手堅いベテラン、中堅を中心に配した「超守備型」の布陣だ。その中で、安倍晋三首相に「距離を置いている」とみられてきた野田聖子氏が総務相、河野太郎氏が外相に起用されたのはプチ・サプライズだった。おかげで、内閣支持率もとりあえず下げ止まったが、2人が選ばれた背景には安倍氏のしたたかな計算があった――。
第3次安倍第3次改造内閣が発足し、記者会見する野田聖子総務相=8月3日夜、首相官邸(写真=ロイター/アフロ)

2人は支持下げ止まりの功労者だが

内閣改造を受けて報道各社が行った緊急世論調査は、安倍氏にとって久しぶりに明るいニュースだった。共同通信社の調査では内閣の支持率は前回比8・6ポイント上昇の44・4%。読売新聞が6ポイントアップの42%。毎日新聞が9ポイントアップの35%、日経新聞が3ポイントアップの42%だった。依然として不支持率も高く楽観できる数字ではないが、暴落し続けてきた支持が上昇に転じた意味は大きい。

支持が回復した要因は明白。野田氏と河野氏の入閣だ。共同通信社の調査では野田氏に「期待する」が61・6%。河野氏に対しては55・6%が期待すると答えている。

2人は「ポスト安倍」候補にも名が上がる知名度の高い議員だ。加えて安倍政権への批判や苦言をしばしば発信してきた。自分を批判する2人を起用したことで、「お友達ばかり集める」と指摘されてきた安倍氏が「反省して変わった」と国民が好意的に受け止めたのだろう。

しかし、安倍氏が2人を起用した動機は、それほど純粋なものだったとは言い難い。

安倍氏が沈没すると、野田氏が浮上する

少し長くなるが、野田氏の政治経歴を紹介しておきたい。野田氏は現在56歳。1993年の衆院選で初当選した頃は、女性の自民党議員は極めてレアで「政界の聖子ちゃん」ともてはやされた。98年には史上最年少(当時)で入閣。「日本初の女性首相候補」という見出しもメディアで躍っていた。安倍氏とは当選同期だが、この頃は野田氏の方がはるかに目立っていた。

小泉内閣の誕生で状況は一変する。安倍氏は小泉純一郎首相の寵愛を受け、官房副長官、幹事長、官房長官と出世の階段を駆け上がった。一方、野田氏は小泉氏が進めた郵政民営化に反対して冷遇された。関連法案に反対したため2005年の「郵政選挙」では自民党の公認を得られず。当選はしたが離党に追い込まれた。

06年9月、安倍氏は小泉氏の後継者として「戦後生まれ初の首相」になる。そして野田氏ら郵政反対派議員の復党を許した。安倍氏はもともと郵政民営化には慎重で、野田氏らに対しては同情的だった。野田氏ら復党組と面会した際、安倍氏は「おかえりなさい」と声をかけたが、これが猛烈な批判を浴びる。今では理解し難い話だが当時、郵政政策については民営化が絶対的な正義で、批判勢力に理解を示す発言をするだけで「抵抗勢力」というレッテルを貼られる時代だった。結局、安倍内閣は支持率を大幅に落とした。