業績の拡大を支えた「政官財」の華麗な人脈

アーバンの業績拡大は、房園の才覚のみならず、人脈の広さにも支えられた。創業間もない頃、房園をことのほか可愛がったのは橋口収(元広島銀行相談役・故人)。橋口は事務次官就任を逃したが、旧大蔵省を代表する大物OBで、広島銀行がアーバンを支えた。橋口は大蔵省OBの保田博、山口光秀(故人)などを房園に紹介している。橋口は日本銀行副総裁で、最近まで総裁候補として、政財界やマスコミを賑わせた武藤敏郎(現大和総研理事長)の岳父でもある。

そして、広島で創業したアーバンが大阪を経て東京へ進出するときに房園を助けたのが橘田幸俊である。この橘田とのつながりが、アーバン破綻の最大の原因となった。バブル時代、ゴルフ場開発などを手がけた不動産業「愛時資」代表だった橘田は、政界のみならず、裏社会にも顔の利く「バブル紳士」でもあった。

橘田に対し、裏社会への水先案内人を務めたのは佐藤茂(故人)。旧住友銀行と旧平和相互銀行との合併の裏を仕切り、政界と裏社会とのつなぎ役だった人物である。

橘田が経営していた栃木県にある東京北ゴルフ倶楽部の理事には、瀬島龍三(故人)、新井明(元日本経済新聞社社長・故人)などが名を連ねた。当時の「愛時資」本社役員に、岡田茂(東映名誉会長)、前野徹(元東急エージェンシー社長・故人)、樋口廣太郎(元アサヒビール会長)なども名を連ねたが、これは橘田の表の付き合いの象徴か。

国土法違反に問われ、暴力団幹部とともに逮捕された古傷を持つ橘田。その橘田を相談役として遇したアーバンには、常に橘田の風評が付いて回った。度重なるメディアの指摘から、房園も橘田を相談役から外し、関係を切ったと説明していた。だが、関係は続いていたようだ。東京・三番町にあるビルの一室には両名の表札があり、住民票には橘田の親族とともに、房園の親族が記載されていた。

房園の手腕だけに頼ったアーバンの経営は脆かった。決算のたびに、有価証券取引書が訂正されたが、東証一部上場企業でこれほど杜撰な決算報告書が出される例は珍しい。株主総会で可決された人事が一夜で変わるように、管理部門はぼろぼろだった。様々な言い分、言い訳があるが、経営破綻するには、必ず破綻する必然的な理由がある。敏腕営業マン、房園が犯した過ちの代償は大きい。(文中敬称略)