「そんなものは見なければいいのだ」という声も聞こえてきそうですが、それはそれとして。冒頭の女性は、以下のように続けます。
「自分では頑張っているつもりだし、充実した生活を過ごしているつもり。そう頭では思っているのに、比較対象が目の前に現れると、どうしても比べてしまうし、結果、勝手に落ち込んでしまう。妙な無力感だけが生まれてしまって……。仕事にも支障が出そうで、でもただの嫉妬なのかなと思うと、恥ずかしいし」
この話、難しいですよね。他人と比較して、今よりも良くなろうという姿勢は悪いことではありません。自分の内面とだけ向き合うことで成長できるならいいのですが、そういう強い人ばかりではない。ただ、一定の年齢になると、そういうシンプルなことだけではなくなってくるな、というのも正直なところなのです。
もしあのとき違う選択肢を選んでいたら? 他人の人生がそれを突きつける
このコラムを読んでくださっている皆さんの置かれている状況は、それこそまちまちでしょう。結婚している、いない、子供がいる、いない、働いている、いない、など、千差万別なはずです。
誰一人としてまったく同じ状況の人はいない。そんなことはわかっている、でもわかっていても割り切れないから、冒頭の女性の発言が出るのです。
羨ましい、比べると気持ちが萎えてしまうという環境は、その比較対象者(まあ、友達や知り合いの女性でしょうね)本人だけの努力で手に入れたわけではないという部分が透けて見えるところが、「みんな千差万別なはず」という前提を壊してしまう。