日々SNSで流れてくる、友人知人たちの幸せそうな日常。つい自分と比べて嫉妬してしまう……そういう人は少なくありません。でも、そろそろ“比較”は卒業すべきお年ごろかもしれません。その理由とは?

SNSで他人の幸せそうな写真をじっくり見てしまう

「『ホームパーティーをしています!』という写真がアップされていると、じっくりと見てしまう。例えば、ああ、このソファーは高いだろうなとか、部屋の広さを勝手に想像してみたりとか。マンションの共用設備に素敵なライブラリーがあったりすると、もう、すっかり気分が萎えてしまいます」

ソーシャルネットワークツールが急速に普及して使いやすくなった結果、久しぶりの人、今までだったら疎遠だった人、知り合うことなどなかった人など、いろいろな人と簡単に、しかも便利につながれるようになりました。上記は、そんな話をしていた時に、あるキャリアの曲がり角に来ている女性管理職から出た発言。

一昔前なら、それほど親しくない人の休日の過ごし方など知る由もなかったですし、垣間見る方法もありませんでした。しかし、今は違います。スマートフォンのアプリを一つ立ち上げるだけで、いろいろな人たちの生活が押し寄せてきます。

仕事で頑張っている姿、表彰されている晴れ舞台、子供の発表会や受験の様子、趣味にいそしむ休日、親しい友人と飲む素晴らしいワイン(もちろん、エチケットも忘れずに撮影)洗車しましたと報告した写真に写りこむタイヤのホイールは車種が特定できるように……ちょっと毒を含んだ例を挙げてしまいましたが、自分ではない誰かの日常に触れる機会が飛躍的に増えてきたことを実感している人は、少なくないでしょう。

「そんなものは見なければいいのだ」という声も聞こえてきそうですが、それはそれとして。冒頭の女性は、以下のように続けます。

「自分では頑張っているつもりだし、充実した生活を過ごしているつもり。そう頭では思っているのに、比較対象が目の前に現れると、どうしても比べてしまうし、結果、勝手に落ち込んでしまう。妙な無力感だけが生まれてしまって……。仕事にも支障が出そうで、でもただの嫉妬なのかなと思うと、恥ずかしいし」

この話、難しいですよね。他人と比較して、今よりも良くなろうという姿勢は悪いことではありません。自分の内面とだけ向き合うことで成長できるならいいのですが、そういう強い人ばかりではない。ただ、一定の年齢になると、そういうシンプルなことだけではなくなってくるな、というのも正直なところなのです。

もしあのとき違う選択肢を選んでいたら? 他人の人生がそれを突きつける

このコラムを読んでくださっている皆さんの置かれている状況は、それこそまちまちでしょう。結婚している、いない、子供がいる、いない、働いている、いない、など、千差万別なはずです。

誰一人としてまったく同じ状況の人はいない。そんなことはわかっている、でもわかっていても割り切れないから、冒頭の女性の発言が出るのです。

羨ましい、比べると気持ちが萎えてしまうという環境は、その比較対象者(まあ、友達や知り合いの女性でしょうね)本人だけの努力で手に入れたわけではないという部分が透けて見えるところが、「みんな千差万別なはず」という前提を壊してしまう。

今の自分にたどり着くまでに、みんないろいろな選択を経ているはず

今の自分にたどり着くまでに、誰でもいろいろな選択を経ているはずです。当然のことながら、自分が比較対象にしている人も、いろいろな選択をしてきたはずでしょう。

かつては、その選択の違いによって生じた差は、そこまであからさまに見えたりはしませんでした。しかしいまは、くっきりと可視化され、ソーシャルネットワークを通じて流れてきます。ということは、その結果の差に打ちひしがれてしまうのは、無理もない話なのかもしれません。

いろいろな状況に置かれているのが当たり前な世代だからこそ、もしかしたら「ちょっとした選択を間違ってしまった」と、勝手に思い込んでしまうのかもしれません。冒頭の女性の発言をうなずいて聞いていた、別の女性(似たような年齢で、管理職ではない)は、こう言葉を続けました。

「結局、『成功したー!』っていう人の投稿を見ていると、変な気分になると同時に自分が否定されている気分になるんですよ。私にもこういう人生があったのかなと思いつつ、だとしたら、どこで間違ってしまったのかなって」

「他人と比較して成長する」というステージはそろそろ終わるべき

さて、この話に別に結論はありません。正解もありません。ただ、一定のキャリアを重ねてきた人たちは、そろそろ“他人との比較をすることで成長を目指す”というステージを終えるべきなのかもしれないと、私は考えます。

そうでないと、自分自身の今までを否定しなくてはならなくなってしまうこともある。それよりも、いまの自分の延長線上に、自分らしい未来予想図を描き、それに足りないパーツを埋めていくという作業をするほうが、より建設的なのではないかと。これはあくまで一つの提案に過ぎませんが。

SNSの落とし穴

他人の生活をかなりリアルに見ることができる仕組みは、他の人に賞賛してもらったり、それこそ羨ましく思ってもらったりする欲望をうまく満たすように作られています。逆に言うと、そういう気持ちを持っている人たちは、そういう仕組みやツールをうまく利用して、自分の気持ちを満たしたり、それこそある種のブランディングに利用したりすることに長けています。

素敵なライフスタイルやワークスタイルが散りばめられている写真の向こうには、例に挙げたような女性たちの反応を待っている人がいる、かもしれない。そのカラクリが分かれば、それに乗ることにあまり意味がないことだと、もうお気づきですよね。

……でもねぇ、妬いちゃう気持ちもわかるんですよ。美味しそうなご馳走の写真が上がってくると「うわー、なんだ、うらやましすぎる!」と、私も心穏やかではいられませんから。大人気ないと反省しつつ。

サカタカツミ/クリエイティブディレクター
就職や転職、若手社会人のキャリア開発などの各種サービスやウェブサイトのプロデュース、ディレクションを、数多く&幅広く手がけている。直近は、企業の人事が持つ様々なデータと個人のスキルデータを掛け合わせることにより、その組織が持つ特性や、求める人物像を可視化、最適な配置や育成が可能になるサービスを作っている。リクルートワークス研究所『「2025年の働く」予測』プロジェクトメンバー。著書に『就職のオキテ』『会社のオキテ』(以上、翔泳社)。「人が辞めない」という視点における寄稿記事や登壇も多数。