【田原】どうして?

【山田】やりたいことができなかったんです。きっかけとなったのは、メッセンジャーサービス。韓国に行ったとき、カカオトークというサービスを見て、これは絶対に流行ると確信しました。さっそく会社に稟議書を出しましたが、通すのに半年かかってしまった。いざつくり始めたら、こんどはアメリカの本社から「日本向けのゲームに集中しろ」と言われて、プロジェクトがストップ。そのうちにLINEが出てきて、あっという間に普及しました。

【田原】メッセンジャーサービスをやろうとしたのはLINEより早かったのに、それができなかったと。

【山田】つくり始めたのが遅かったので、会社から止められなくても結局はLINEのほうが先だったと思います。ただ、ほかにも本社からの指示でプロジェクトがキャンセルされたことがあって、やっぱり自分でやらなきゃダメだと感じました。

【田原】その後、世界一周したそうですね。何か収穫はありましたか。

【山田】半年強かけて20数カ国回りました。いま振り返ると、あのころ自分の世界観が確立した気がします。飛行機をなるべく使わずに電車やバスで移動していたのですが、自分の身体を使って移動していると、地域ごとの文化の違いだとか、豊かな国と貧しい国があることが肌感覚でつかめてきた。これはいま世界展開するうえで役に立っています。

【田原】その後、メルカリを始める。

【山田】帰国して衝撃的だったことがありました。旅立つ前はガラケーが主流で、連絡先を交換するのも赤外線通信だったのに、帰国したらみんなスマホを持っていて、「連絡先? LINEでふるふるしましょうか」となっていた。スマホで個人と個人がより簡単につながるようになっていたんです。元々個人間取引はおもしろいと思っていましたが、ヤフオクには太刀打ちできない。ひっくり返すならスマホが普及したいまだと。それでメルカリをつくりました。