義弟のことは「いたに違いないのに、覚えがない」

既に朝ドラというよりは昼ドラである。親の都合で夫婦にさせられた千代はもちろん、亮一にとっても「なんなんだ、これは」であろう。

こんなことがあったら、藤村家との関係も気まずくなりそうなものだが、そうならなかったのが不思議である。

カツも実家に帰った千代を連れ戻そうとはしなかったあたり「こんな当人の意思も確認せずに、慌てて結婚させてもうまくいくはずがない」とわかっていたのかもしれない。実のところ、ドラマのように再会していきなりいい感じ……などということは、皆無だったようだ。

『生きて行く私』で千代は、忠を「悟」という仮名で登場させ、この弟についてこう書いている。

あの鉄砲小路の家に私のいた間、確かに、悟と言うこの弟がいた。いたに違いないのに、私にははっきりとした覚えがないのであった。(宇野千代『生きて行く私』角川文庫、2015年)

覚えていないのである。嫁入りしていた10日ほどの間、同じ家にいたはずの義弟を。

逃げ場がほしい千代、嫁にしたい元義母

ドラマの「再会していい感じ」は、史実だと「どちら様でしたっけ?」から始まるのだ。

1935年頃の宇野千代
1935年頃の宇野千代(画像=kikoubon.com/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

しかも『生きて行く私』は、そのあといきなり、カツから「京都で一緒に暮らして世話をしてやってくれないか」と頼まれるくだりへ続く。覚えてもいない男の世話を、逃げ帰った元嫁に頼むのである。

カツ、強い。

いずれにせよ、条件はそろっていた。カツは長男との結婚には失敗したものの、千代を気に入っていた。一方の千代は、ドラマでは島村先生(工藤阿須加)として描かれた、同期の新任教師・佐伯正夫との恋愛がスキャンダルになって教師をクビになり、岩国では肩身が狭くなっていた。京城で佐伯から絶縁状を受け取り、「母が急病」と嘘をついて戻った身でもある。

逃げ場がほしい千代と、嫁にしたい母。利害が一致してしまったのだ。

前述のコープランドがコロンビア大学に提出した博士論文『宇野千代――女性として、作家として』(Copeland, Rebecca L. “Uno Chiyo: The Woman and the Writer.” PhD diss., Columbia University, 1986. )には、『生きて行く私』の記述とは異なる一文がある。

千代は結婚にはまったく関心がなかった。しかし、特徴的な学生帽をかぶった、物静かで生真面目そうな従兄に、不思議な魅力を感じていた。