“結婚相手”は帰らず、千代は十晩待った
だが、相手の亮一は17歳。岩国中学の5年生である。現代でいえば、中2の女子と高2の男子の結婚を親同士が決めたわけだ。当時は今よりも若い年齢で結婚するとはいえ、当人たちにとっては寝耳に水だった。
いくら死期の迫った父親を安心させたいとはいえ、こんな結婚がうまくいくはずがない。『生きて行く私』では、このことを次のように記している。
伯母はしんから嬉しそうにして、「ここは雄一の寝とる部屋じゃが、今夜からお前は、この部屋で雄一と一緒にお寝るんでよ」と言って、二つ並べて敷いてある寝床を指さしたが、私にはそれが、雄一の妻になったことだとは思えないのであった。
まだ文学的である。実際のところ、この当人同士の意向を無視した結婚は完全に破綻していたようだ。米セントルイス・ワシントン大学の日本文学名誉教授で、1984年には宇野千代本人にも直接インタビューを行ったレベッカ・L・コープランドは、著書『風の音――宇野千代の生涯と作品』(Copeland, Rebecca L. The Sound of the Wind: The Life and Works of Uno Chiyo. Honolulu: University of Hawai‘i Press, 1992.)で次のように記している。
千代は赤い提灯を持った近所の老夫婦に付き添われ、従兄の家へと向かった。そこで花婿と伝統的な三三九度の杯を交わした。
しかし、二人がすぐに夫婦の契りを結ぶことはなかった。
最初の一週間、千代は伯母の部屋で寝起きした。二週目に入ると、藤村夫人は千代に亮一の部屋で寝るように指示した。ところが、幼い花嫁を気に入らなかった亮一は家に帰ろうとせず、近くの安宿で夜を過ごしていた。どうやら、素行の疑わしい女性と一緒だったらしい。
藤村夫人は少しも慌てなかった。ただ千代に、亮一が帰ってきたときに備えて、いつでも寝られるように寝具を整えておくよう命じただけだった。
千代は十晩ほど、そうして亮一の帰りを待ち続けた。
しかし、ある日、学校が終わると、千代は慣れ親しんだ道を駆け、川西の実家へと戻ってしまった。屈辱とホームシックに耐えかねた千代は、二度と藤村家には戻らないと言い張った。伯母も、千代に戻るよう要求することはなかった。
この「結婚」は正式に婚姻届が出されていなかったため、法律上の効力を持たず、結婚に伴う約束もすべて解消された。

