金利はどういう方向に動くのか
(2)日本の政策金利の特殊性
「金融政策決定会合で、日銀が利上げをするのではないか」ということはよくニュースになりますし、いつの世も、金利水準の変更には注目が集まります。
そして、住宅を購入しようとする個人にとっては、金利の水準は住宅ローンの支払額に直結しますので、大きな関心事となる事柄です。
これから、金利がどういう方向に動くのかということを予測するのは、株価や為替の方向性を予測するのと同じか、それ以上に困難です。
ですから、ここでは「金利の先行きの予測」をするのではなく、1990年にバブルが崩壊した後から現在までの事実に基づく、日本の金利を取り巻く情勢について、あまり語られることのない視点から考察を進めていきます。
まず、ことの発端は、不動産価格も含めると1990年の年末まで続いた資産バブルのところからです。上がりすぎた資産価格を沈静化させるために、政府と日銀は政策金利(当時は「公定歩合」といいました)をどんどん上げていきました。
日経平均株価は1990年初から暴落が始まっていたのですが、不動産価格は1990年に入っても上昇を続けていたため、政府と日銀は政策金利を上げることに加えて、「窓口総量規制」という名の「不動産に対する貸し出しの制限」を急速に強めました。「バブル潰し」のためです。
なぜ「バブル潰し」に至ったのか
この「バブル潰し」になぜ至ったのかを説明するために、少し時代を戻します。
1985年の「プラザ合意」によって急激に円高が進んだことで、日本は「円高不況」に喘ぐこととなりました。当時の政府と日銀は、その「円高不況」に対処するために、過度に金融を緩和しました。当時の日本は成長過程にありましたし、金融も緩和されていることから、資産価格のバブルを発生させてしまいました。
そして、資産バブルのせいで地価が高騰して、国民が住宅を買えないという不満が募ると、今度は政策金利を猛烈な勢いで引き上げて、「バブル潰し」に躍起になった、というわけです。
資産バブルを発生させたことも、それを急激に潰しにかかったことも、政策運営としては明らかに大失敗でした。この金融政策の大失敗によって、日本はその後、長きに亘る不況とデフレに苛まされることになったのですから。
それに加えて、1995年には日本の生産年齢人口がピークアウトして減少に転じたことや、就職氷河期の到来や消費税が5%に上がったことなどが重なって、消費が冷え込んだことも日本のデフレに拍車をかけました。

