「明日鳴るのかなこの電話」菊池のジュニア愛

明確なアナウンスがないのは入所だけでなく退所も同じで、90年代から2000年代前半はWEB環境も十分とは言えなかったため、ファンの側も、テレビ収録の現場や雑誌の誌面を通して、自分の好きなジュニアを見かけなくなると辞めたことを察する――といったようなことも日常茶飯事だった。

また、レッスンや仕事も、電話で呼ばれたら行く、というようなことが多かったようである。

菊池風磨は今年配信された『timelesz project -REAL-』で、ジュニアの同期で、メンバーである寺西拓人とともに、ジュニアの番組収録が行われていたNHKのある渋谷を訪れ、2人で当時を振り返った上で楽曲を共作。出来上がった『half&half』には「明日鳴るのかなこの電話」という、ジュニア時代の彼らの不安を表現するフレーズが入っている。

他にも菊池はジュニア時代の思い出話をすることが多くある。タイプロには「ジュニアという制度・伝統を軽んじている」といった批判もあるが、これだけ自分のジュニア期間を青春時代のように重んじ、懐かしむ人間が、ジュニアという制度そのものを軽んじるようなオーディションを開催するとは思えないのである。

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タイプロをジュニア期間の代替にしようとしていて、本質的に近い経験を候補生にさせようとしていたと考えれば、形式として「ジュニア期間を通っていない」とこれだけの反発を喰らったことへの菊池の葛藤は察するに余りある。

9年たっても「日々オーディション」

次のレッスンにいつ呼ばれるのかもわからず、自分がいつ“消える”かすらわからない――その不安がジュニアたちを成長させていく。つまり、ジュニアというのは常に不安がつきまとう状態なのである。そのような期間を的確に表した言葉がある。

元Kis-My-Ft2の北山宏光はデビュー前のジュニアだった当時、こう語っている。

「CDデビューはしたいです。だから、僕はいまだに日々オーディションだと思っている」

この発言の時点で、北山はジュニアになってから約9年。その長いジュニアの期間を、彼はCDデビューをするためのオーディションと捉えていたのである。

ジュニアという日々は、不安定な立場ゆえに不安がつきまとい続け、だからこそ切磋琢磨し続ける「毎日がオーディション」の期間なのである。

タイプロではその不安の期間は10カ月。timeleszメンバーと一緒に踊ったり、5次審査の際は公式ショップで候補者のグッズが発売されたりするなど、候補者自身も所属者かのように錯覚できそうな出来事もあった。だが、そこでメンバーに選ばれなかった者は、ジュニアになった1名を除いて事務所に所属はしていない。

その栄光に限りなく近づき、同じステージに立ちながらも、結果的には多くの者が去っていき、限られた者しかデビューをつかめないのも、おおいにジュニア的である。