苦しいときこそ勝負をかけてきた

バブル崩壊で団体旅行は激減し、個人・家族旅行が中心となった。その分、客がゆったりと旅を楽しめるようにと、ふぐや和牛などの食材にもこだわった。また、子どもからお年寄りまで楽しめるよう、女将劇場にも時事ネタやアニメのキャラクターなどを盛り込んだ。

しかし2007年、不況の中でも新しいものに挑戦しようと思い切って投資した4号館の建設が、旅館の経営をさらに圧迫した。湯田温泉の他の旅館は、次々と大手に買収されていく。明日は我が身かと震えながら、毎日を必死に過ごした。山口県美祢市に居抜きで手に入れた旅館の経営にも心を砕いていたが、手放さざるを得なかった。

この頃に経営コンサルタントからかけられた言葉を、高美さんは今もお守りのように大切にしている。

「『人は思った通りの人間になる。自分でダメだと思ったらダメ。よくなると思えばよくなる』と言われたんです。だから銀行に『もうダメだ』と言われても、私はそう思わないようにしました。だから、苦しいときこそ、勝負をかけてきたんです」

先が見えない状態も、恐ろしいというよりおもしろかった、と高美さんはほほえむ。

ようやく借金返済のめどがついたときは、夫婦で涙を流した。

コロナ禍を支えた「女将劇場」

バブル崩壊後の不況を乗り越え、経営が安定したところで、高美さんと力さんはまたもや谷底に突き落とされた。2020年に始まったコロナ禍だ。2020年度と2021年度は、宿泊数が6~7割も落ち込んだ。インバウンドにいたっては、2年間ゼロだ。

「今までで一番、苦しかったですね」と高美さんは言った。

この間も、気持ちを支えたのは女将劇場だった。

「客がいないときにしかできないことをしよう」と、ロビーの大きなガラスを鏡の代わりにして、学生たちと稽古に励んだ。屋上で月を見ながら、新しい演目のアイデアを練ることもあった。

何度も訪れる危機の中で、大切なのは「続けること」だ、と高美さんは感じた。

「祖母や両親の背中を見て育ちました。祖母にはしたたかさを、母には従業員を大切にすることを、父にはまじめさを教わりました。祖母も両親も、旅館を続けるために必死だったんです。女将劇場を見に来てくれるお客さまを前にして、やめるわけにはいかん、火を消してはいかんと、歯を食いしばって頑張りました。このときに来てくださった方は、本当に大事なお客さまです。経費を削減することも重要でしたが、1人でもお客さまがいれば女将劇場をやりました。だから(私たちの旅館は)今日まで残ったんです」

コロナ禍の間は、大きなガラスを鏡代わりに、女将劇場の稽古に励んだ
撮影=山口ちゆき
コロナ禍の間は、大きなガラスを鏡代わりに、女将劇場の稽古に励んだ