山口市湯田温泉の老舗旅館「西の雅 常盤」の名物は、81歳の大女将、宮川高美さんの「女将劇場」だ。この旅館が、バブル崩壊やコロナ禍という旅行業界への逆風を乗り越えて、今も多くのファンを引き付けているのはなぜなのか。ライターの山口ちゆきさんがリポートする――。
「西の雅 常盤」の大女将で81歳の宮川高美さん
撮影=山口ちゆき
「西の雅 常盤」の大女将で81歳の宮川高美さん

宿泊客を巻き込んで続けた舞台

「西の雅 常盤」は1936年、山口県山口市の湯田温泉で6室の小さな旅館「常盤旅館」として創業した。後を継いだ女将の宮川高美さんは、夫の力さんと二人三脚で経営の危機を乗り越えてきた。

旅館の目玉は、女将と従業員、そしてアルバイトの学生たちによって開催される「女将劇場」だ。

1991年の3号館建設後、バブル経済が崩壊する。景気は急激に冷え込み、国民の財布のひもは固く締められた。客足が遠のいた旅館に、借金が重くのしかかる。それでも女将劇場を見に来る客がいる以上、休むわけにはいかなかった。

経費を削減するために高美さんが思いついたのは、宿泊客を巻き込むことだった。披露できる芸を持っている客に頼み、ステージに上がってもらう。もちろん、出演料は出せなかった。それでもいいと言ってくれる客のおかげで、銭太鼓、餅つきショー、玉すだれ、踊りなど、バラエティ豊かなステージが繰り広げられた。

「はみ出し芸」「湯田の笑われ者」と言われた新演目

そしてこの頃、高美さんは新しい演目を加えた。エレキ琴だ。

温泉旅館の女将が、4歳から腕を磨いてきた琴を弾くと聞けば、ゆったりとした雅な音色を期待する人が多いだろう。しかし、目の前で見た高美さんの演奏は、筆者の勝手な思い込みを初っ端から裏切ってきた。

琴の弦をつまびくと、いきなり爆音が響き渡る。なるほどこれがエレキ琴の音か。激しくかき鳴らした勢いで、弦を支える琴柱ことじが次々と落ちた。続いて太鼓のバチでバンバンと琴を叩くと、ほとんどの琴柱が吹っ飛んだ。ロックンロールだ。スタッフが手慣れた様子で、飛び散った琴柱を拾って回る。

この芸の評価は「賛否両論」だったという。「はみ出し芸」と叩かれ、「湯田の笑われ者」とまで呼ばれた。琴の先生は怒って二度と来なくなった。

しかし、批判されるとそれだけ注目が集まる。新聞やテレビで女将劇場が取り上げられ、予約や問い合わせが増えた。

「クレームも人気のうちだと思って、堪えました。うまくいかないときは、もっと悪くなるか、よくなるかのどちらかしかない。その判断を間違えちゃいけないんですよ」

激しい演奏で琴はひび割れ、大きな穴が開いていた
撮影=山口ちゆき
激しい演奏で琴はひび割れ、大きな穴が開いていた

苦しいときこそ勝負をかけてきた

バブル崩壊で団体旅行は激減し、個人・家族旅行が中心となった。その分、客がゆったりと旅を楽しめるようにと、ふぐや和牛などの食材にもこだわった。また、子どもからお年寄りまで楽しめるよう、女将劇場にも時事ネタやアニメのキャラクターなどを盛り込んだ。

しかし2007年、不況の中でも新しいものに挑戦しようと思い切って投資した4号館の建設が、旅館の経営をさらに圧迫した。湯田温泉の他の旅館は、次々と大手に買収されていく。明日は我が身かと震えながら、毎日を必死に過ごした。山口県美祢市に居抜きで手に入れた旅館の経営にも心を砕いていたが、手放さざるを得なかった。

この頃に経営コンサルタントからかけられた言葉を、高美さんは今もお守りのように大切にしている。

「『人は思った通りの人間になる。自分でダメだと思ったらダメ。よくなると思えばよくなる』と言われたんです。だから銀行に『もうダメだ』と言われても、私はそう思わないようにしました。だから、苦しいときこそ、勝負をかけてきたんです」

先が見えない状態も、恐ろしいというよりおもしろかった、と高美さんはほほえむ。

ようやく借金返済のめどがついたときは、夫婦で涙を流した。

コロナ禍を支えた「女将劇場」

バブル崩壊後の不況を乗り越え、経営が安定したところで、高美さんと力さんはまたもや谷底に突き落とされた。2020年に始まったコロナ禍だ。2020年度と2021年度は、宿泊数が6~7割も落ち込んだ。インバウンドにいたっては、2年間ゼロだ。

「今までで一番、苦しかったですね」と高美さんは言った。

この間も、気持ちを支えたのは女将劇場だった。

「客がいないときにしかできないことをしよう」と、ロビーの大きなガラスを鏡の代わりにして、学生たちと稽古に励んだ。屋上で月を見ながら、新しい演目のアイデアを練ることもあった。

何度も訪れる危機の中で、大切なのは「続けること」だ、と高美さんは感じた。

「祖母や両親の背中を見て育ちました。祖母にはしたたかさを、母には従業員を大切にすることを、父にはまじめさを教わりました。祖母も両親も、旅館を続けるために必死だったんです。女将劇場を見に来てくれるお客さまを前にして、やめるわけにはいかん、火を消してはいかんと、歯を食いしばって頑張りました。このときに来てくださった方は、本当に大事なお客さまです。経費を削減することも重要でしたが、1人でもお客さまがいれば女将劇場をやりました。だから(私たちの旅館は)今日まで残ったんです」

コロナ禍の間は、大きなガラスを鏡代わりに、女将劇場の稽古に励んだ
撮影=山口ちゆき
コロナ禍の間は、大きなガラスを鏡代わりに、女将劇場の稽古に励んだ

外国人スタッフに支えられている

コロナ禍が落ち着いてからも、課題は山のようにあった。ホテル・旅館業界はそれまでも、長時間労働や低賃金のために慢性的な人手不足に悩んでいたが、コロナ禍でさらに多くの人が仕事を離れていった。人材不足は深刻化した。政府は宿泊分野での特定技能外国人の受け入れを決め、業界も積極的に外国人雇用を進めていった。

「西の雅 常盤」のスタッフも、今や半数以上が外国人だという。そして日本人スタッフの多くは70代から80代だ。外国人スタッフの多くは、ベトナムやネパールから来ている。1人で働きに来た人も、落ち着くとパートナーや家族を呼び寄せて一緒に働くようになる。

「外国人スタッフは、本当にみんなよく頑張ってくれますね。仕事に集中できるよう、家や家財道具、エアコンや自転車など、生活に必要なものはこちらで揃えています。そのおかげでしょうか、やめる人はほとんどいません」

室内清掃のスタッフと打ち合わせをする大女将の宮川高美さん
撮影=山口ちゆき
室内清掃のスタッフと打ち合わせをする大女将の宮川高美さん

「女将あっての常盤」

コロナ禍の後、宿泊客も少しずつ変化している。

「以前は個人や家族旅行が中心でしたが、最近は旅行会社が企画するバスツアーが増えています。関東や東海、関西方面からも多く来られますね。年配のお客さまも多いので、食事は、幅広い世代の方に喜んでいただけるよう工夫しています」

取材した日も、400人規模のバスツアー客を迎えるため、スタッフが忙しそうに動いていた。通常の宴会場に400人は入りきらないため、ロビーで女将劇場を開催する準備が着々と進んでいる。

40年近く勤めている従業員は、「女将劇場あっての常盤」と言った。

「女将劇場があるからお客さまが来てくださいます。それでも、危険だったり動きが激しかったりする芸は、少しずつ減らしているんですよ。たとえば以前は、ボウリングのボールを使う芸がありました。でも、もし女将に当たったら危ないのでやめました。よさこいのように動きが激しいものも、今はやっていません。見ていて飽きない、おもしろい芸でしたけどね。女将の体が大事ですから」

終演後、見送りをする大女将に客たちは「ありがとう」「元気が出ました」と言葉をかける
撮影=山口ちゆき
終演後、見送りをする大女将に客たちは「ありがとう」「元気が出ました」と言葉をかける

「女将劇場」に言葉はいらない

京都などでは「オーバーツーリズム」が問題になるほどインバウンド需要が伸びている。2024年に米紙ニューヨークタイムズは「2024年に行くべき52カ所」に山口市を選出した。その影響は大きいのではないかとたずねると、力さんは苦笑いした。

「まあ、期待したほどには増えていませんね。羽田や関空に降り立った欧米の方は、広島まで来て引き返します。福岡空港に来たアジア圏の方たちは、九州をぐるっと回って帰ります。残念ながら、お客さまはなかなか山口まで足を延ばされないんです」

とはいえ、台湾や韓国からの客は多い。長男で社長の和也さんと力さんが熱心に営業に出向いていることと、YouTubeでの発信を中国語や韓国語でも行っていることが背景にある。

「女将劇場は言葉で説明するものではありません。三世代が楽しめるように作ってきた女将劇場は、海外の方にも喜んでいただけます。ネタバレのマジックやイリュージョンも、太鼓や琴も、国や年齢を問わず、誰にでも楽しんでもらえるんです」

「西の雅 常盤」の外観
撮影=山口ちゆき
「西の雅 常盤」の外観

「90歳まで続けます」

女将の仕事は、大女将の高美さんと、長男の妻で若女将の好世さんとで分担している。好世さんはYouTubeなどでの情報発信や、業者や客への連絡業務のほか、女将劇場の演出を含む旅館の業務全体に目を配っている。高美さんは客室へのあいさつ、朝の見送り、館内の点検・修理、女将劇場で使う道具の整備などを担う。

「若女将と分担はしていますが、それでも結構仕事はありましてね。朝のお見送りの時間にあわせて出勤し、家に帰るのは24時頃。夜中に水漏れのトラブルなんかがあれば、また出てきます。ずっとこうしてやってきているので、もしも仕事をしなくなったら、すっかり気が抜けてしまうんじゃないでしょうか。働き詰めの人生ですよ」

女将劇場を喜んでもらえるのが生きがいだと、高美さんは言った。

「最後まであきらめず、90歳まで女将劇場を続けます」

高美さんの自慢は、ある山口市内の大きな企業の社長が、夫の力さんのことを「伝説の養子」と呼んだことだ。

「働きぶりをちゃんと見ていて、評価してくれたことが嬉しかったですね。この人は実家に帰ろうと思えば帰れたのに、帰らずに一緒に頑張ってくれた。私と一緒に戦う戦士です。感謝しています」

2026年4月、「多年にわたり旅館業務に精励した」功績で、観光関係功労者国土交通大臣表彰を受賞した。取材の10日後、東京・霞が関の国土交通省で行われる表彰式に夫婦で出席するのだと、うれしそうに力さんが言った。

「ゆっくりと東京見物など楽しんで来られるのですか」と問うと、2人は首を横に振った。

「いえいえ、日帰りです。始発で行って、20時15分頃に帰ってきます。20時45分から女将劇場がありますから」

手を振って客を見送る、大女将の宮川高美さん(左)と夫の宮川力さん
撮影=山口ちゆき
手を振って客を見送る、大女将の宮川高美さん(左)と夫の宮川力さん