信長の親衛隊の筆頭となり出世

利家は永禄2(1559)年頃に信長の同朋衆・十阿弥といざこざを起こした果てに斬殺し、信長の逆鱗に触れて出奔を余儀なくされる。桶狭間の合戦、森部合戦にひそかに参陣し、武功をあげて帰参を赦された。

父・利昌は2000貫文(のち2300貫文)の所領を持っていたが、利家はそれと別に50貫文の所領を与えられ、萱津合戦、稲生合戦、浮野合戦で武功を挙げ、150貫文に加増されている。信長の親衛隊ともいえる赤母衣あかほろ衆の筆頭に列し、永禄12(1569)年の伊勢大河内城攻めの後、信長の命で利家が家督を継ぎ、計2450貫文を領したという。