※本稿は、菊地浩之『増補新版 豊臣家臣団の系図』(角川新書)の一部を再編集したものです。
秀吉の正妻の実家、浅野家とは?
浅野家は秀吉の正室・北政所(於寧、寧、寧々)の養家である。寧は杉原助左衛門(入道道松。定利。?〜1593)の娘として生まれたが、母方の伯父で織田家臣の弓衆・浅野又右衛門長勝(?〜1575)の養女となったのだ。
服部英雄氏は『河原ノ者・非人・秀吉』の中で「『祖父物語』『清須翁物語』に、ね(寧)の出た家(杉原)は連雀商人(編集部註:行商人)であったとある」と記している。
決して高い家柄ではなく、むしろ下層身分である。しかし、「秀吉と寧の結婚に際しては、寧の母親の賛同が得られなかった。
『秀吉公の卑賤を嫌ひたまひて、御婚姻をゆるし給はさりしに』(中略)
寧は、いったん織田家の弓大将であった浅野又右衛門と妻である実母妹(七曲)夫婦の養女になった。寧は養子縁組みで身分が上昇した。その女婿と釣り合いも取れぬ。秀吉の身分は周囲からかなり低くみられていた」という。
寧の実家・木下(杉原)家にしても養家の浅野家にしても、閨閥といえるような有力者は存在しない。秀吉が出世したから、その親族として大名に取り立てられた者ばかりである。
「一代でのし上がった秀吉には譜代といえる家臣は皆無だった。こうした場合、一族を頼るのが常套手段だが、秀吉の一族にはめぼしい人材がいなかった」(『織田信長の家臣団』)という、和田裕弘氏の手厳しい指摘は的を射ている。
秀吉の義兄となった浅野長政
浅野弾正少弼長政(1547〜1611)は、通称を弥兵衛といい、天正16年に従五位下弾正少弼に叙任された。
諱ははじめ長吉。文禄元(1592)年頃に長政と改名したという(以下、長政に表記を統一する)。
素直に考えるなら、秀吉の義兄として信長から偏諱をもらい、秀吉から一字もらって「長吉」と名乗ったのだろう(そう考えると、長政の養父の諱にたまたま「長」の字が付いているのは不自然で、長勝という名前も後世に創作したものと考えた方が良さそうだ)。
長政は尾張国丹羽郡宮後村(愛知県一宮市今伊勢町宮後)の安井弥兵衛重継の子に生まれ、織田家の足軽弓頭・浅野又右衛門長勝の婿養子となった。母は長勝の姉妹だったらしい。