秀吉の母には三回の離婚歴が

「関白(秀吉)は、傲慢、尊大、否それ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母(天瑞院)に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認めるかどうかと問い質した。彼女(天瑞院)はその男を息子として認知することを恥じたので、デウスに対する恐れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した」

若者が秀吉と面会した際に、何らかの見返りを求めた可能性がある。見返りとは、地位や知行になろう。それに気付いた秀吉は、あえて母に若者が我が子であるかを尋ね、「知らない」と言わせようとした。天瑞院も秀吉の意向に忖度そんたくし、「若者のことを知らない」と答えた。天瑞院も何かと不都合なことがあり、そのように回答したのだろう。

母・天瑞院が知らないと答えたので、秀吉は嘘をついた若者に次のとおり厳しい罰を科した。

「その言葉(天瑞院が知らないと言ったこと)を言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白(秀吉)の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。このように関白(秀吉)は己の肉親者や血族の者すら(己に不都合とあれば)許しはしなかったのである」

一説によると、秀吉の母には3回以上の結婚歴があったという。むろん結婚とはいっても、当時は婚姻届を提出することもなかったので、同居して子を産めば婚姻関係として認められた程度の話である。その背景を想像してみると、秀吉の母は貧しかったので、生活のために不特定多数の男性と関係した可能性がある。秀吉の兄弟という若者は、そうした事情により誕生したと考えられよう。

とはいえ、秀吉にとって、兄弟姉妹は秀長ら三人だけであり、若者の存在は極めて不都合だった。ましてや、地位や知行を要求されたとなれば、ますます疎ましく感じただろう。そこで、秀吉は母に若者を「知らない」と言わせ、嘘を言った若者を処刑したうえで、首を晒すという残酷な所業を行ったと考えられる。

惨殺された姉妹も…

若者を処刑した秀吉は、まだ自分が知らない兄弟姉妹がいると確信し、ほかにいないのか徹底して調べた。『日本史』第一二章には、「その(若者が殺されてから)後3、4カ月を経、関白(秀吉)は、尾張の国に他に(自分の)姉妹がいて、貧しい農民であるらしいことを耳にした。そこで彼は己の血統が賤しいことを打ち消そうとし、姉妹として認め(それ相応の)待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた」と記録されている。

秀吉があたかも偶然に姉妹の存在を知ったように記されているが、実際には執拗な探索が行われたと考えられる。あるいは、母に心当たりを執拗に問い質した可能性すらある。文中の「己の血統が賤しいことを打ち消そう」というのは、血のつながりのない兄弟姉妹を根絶やしにすることによって、自身の賤しい血統が世間に広まらないよう対策したということになろう。

渡邊大門『豊臣秀吉と秀長 天下取り兄弟の真実』(プレジデント社)
渡邊大門『豊臣秀吉と秀長 天下取り兄弟の真実』(プレジデント社)

日本史』第一二章には、「その哀れな女は、使者の悪意と欺瞞に気が付かず、天からの良運と幸福が授けられたものと思いこみ、できるだけの準備をし、幾人かの身内の婦人たちに伴われて(都に)出向いた。(しかるに)その姉妹は、入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった」という悲惨な結末が書かれている。

この姉妹は気乗りしなかったが、使者の甘言にそそのかされ、秀吉との面会を決意した。姉妹は天下人の秀吉に会うので、恥ずかしくない服装を準備し、輝かしい未来を信じて上洛したのである。しかし、姉妹は秀吉の命により捕らえられると、無残にも斬首されたのである。おそらく首は、目立つ場所で晒されたに違いない。

秀吉は自らの出自を隠すことはなかったが、秀長ら三人以外の兄弟姉妹の存在は決して認めなかった。見知らぬ若者や姉妹は、存在自体が不都合だったので、その存在すら跡形もなく消し去ったのである。