跡取り息子は親元から離す

「会長、5年間浜松で修業していた息子がもうすぐ帰ってきます。しかも、スズキの女子社員と結婚するので二人でです」

「ほぅ、そりゃ良かった。目出度いことですな。で、帰ってくるのは本当に二人なの?」

「イヤ、イヤ、会長、実はフィアンセのお腹にもう一人いるので、二・五人でなんですよ」

「そりゃ、ホントに良かった。次の次まで跡継ぎができましたね、社長」

勧進帳のように毎回繰り返されるが、副代理店主も夫人も、待っていたかのように興じる。「去年より、今年の方が気持ちがこもっていて良かった」などとだ。

「いまの若い男は恵まれすぎていて、母親を女中のようにこき使っている。だから、一人暮らしをさせた方がいい。3年では短い。5年は親元から離すべきだ」

これは鈴木修の持論だった。

副代理店の跡取り息子をスズキが引き取ると、九州出身者なら敢えて東北に単身赴任させる。実家に帰れないようにするためだ。5年の月日が流れ、フィアンセを作る。相手がスズキの女子社員というケースもあり、場合によっては跡取りを授かって帰ることもある。

アメーバ経営をしのぐ「ポケット経営」

鈴木修は30代だった営業本部長時代から、業販店に対して頻繁に語っていた教えがある。

「八百屋のオヤジさんは、二つポケットのあるエプロンをしていた。市場で朝10万円分を仕入れたなら、店を開けて売り上げが10万円になるまでは、右のポケットにだけお金を入れておく。10万円を超えたらはじめて、超えた分を左のポケットに入れるようにする。左のポケットのお金は、パチンコでも何でも自由に使っていい」

左のポケットは利益。10万円を超えないのに、何かに使ってしまったなら、翌朝の仕入れができなくなってしまう。売り上げと利益とを、混同してはいけないという戒めである。この手の話は京セラ創業者、稲盛和夫の「アメーバ経営」が有名だが、それ以上に具体的な教えである。

この教えを好む沖縄スズキ会長の比嘉勉は言う。

「右のポケットと左のポケットでいうところの儲けに対する配分が、修さんの経営の妙でした。本当の中小企業である販売店の経営を健全化させて、スズキは成長していきました。国内を固めたことで、やがてスズキは世界企業に飛躍していった。(配分では)身内に厳しく、副代理店などの外には優しいのが特徴でした」