慶應義塾大学に進学できる「一貫校」のうち、最も格が高いとされるのが小学校の「幼稚舎」だ。ジャーナリストの田中幾太郎氏は「小学校の6年間、クラス替えが一度もなく、担任教師も6年間ずっと同じ。まとまりが強く、自分たちが慶應を代表しているという意識を持っている。幼稚舎以外の“外部”の人間にとっては鼻持ちならないと映ることもある」という――。

※本稿は、田中幾太郎『慶應幼稚舎の秘密』(ベスト新書)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/mizoula)

幼稚舎出身者の強烈な慶應愛

慶應義塾に属する学校群は「大学」と、小学校~高校の「一貫校」に分けられる。

現在、一貫校には、小学校が幼稚舎(1874年開学)、横浜初等部(2013年)、中学が普通部(1898年)、中等部(1947年)、湘南藤沢中等部(1992年)、高校が高等学校(通称「塾高」、1949年)、志木高等学校(1948年)、湘南藤沢高等部(1992年)、女子高等学校(1950年)、ニューヨーク学院(1990年)となっている。

この中で、横浜初等部と湘南藤沢中等部・高等部はひとつのグループと見なすことができる。幼稚舎からは湘南藤沢中等部も含め、どの中学でも選べるが、横浜初等部からは湘南藤沢中等部しか選択肢がなく、湘南藤沢中等部からは湘南藤沢高等部しか選択肢がないからだ。

また、普通部と中等部からは湘南藤沢高等部も含め、どの高校でも選べる。なお、普通部と塾高は男子校なので、女子生徒が選ぶことはできない。

これら一貫校には、慶應内部でランク付けがある。

ニューヨーク学院はかなり特殊なので対象外。もっとも格下なのは、歴史が浅い横浜初等部と藤沢湘南の中高だ。一方、格上は幼稚舎、普通部、塾高の3校となる。塾高は、開学年度はそれほど古くないが、元々は普通部の一部であり、戦後の新学制への移行にともない、分離して誕生したもので、歴史的には伝統校と見なされる。

この格上3校の中で、圧倒的に格付けが上なのが幼稚舎である。世間ではそこまでの認識はないだろうが、慶應内部ではそう見られ、さらにいえば、幼稚舎出身者自身がそうした自負を強烈に持っている。

自分たちは「内部」、ほかは「外部」

「幼稚舎出身の生徒同士が陰で、自分たちのことを内部、僕らのことを外部と呼んでいるのを知り愕然としました」と話すのは中等部から慶應に入ったOB。大学受験を経て慶應に入った学生を外部生、高校からの持ち上がり組を内部生と呼ぶのが一般的だが、幼稚舎出身者は自分たちと“それ以外”という分け方をしているのだ。そこには彼らだけの世界が広がっている。

「自分たちだけでグループをつくって、その周りにはバリアを張って、僕らをまるで拒絶しているような感じなんです。幼稚舎出身同士で誕生会などもやっているようでしたが、僕らが呼んでもらうことはなかった」

中等部での幼稚舎出身の割合は4分の1~3分の1程度。年度によって、その割合は変わるが、いずれにしても、人数が多いのは中学受験に合格して入ってきた生徒。にもかかわらず、疎外感を持つのはマジョリティの側なのだ。幼稚舎出身の連合三田会役員は次のように話す。なお、連合三田会は慶應大の各同窓会を取りまとめる中央組織だ。

「幼稚舎でまとまっているというより、同じクラスだった仲間と仲良くしているといったほうが正しいと思います。6年間ずっと同じクラスでやってきたので、外部の人がいきなり入ってきて、彼らとも親しくしろと言われても、すぐには難しい面がある。でも、それも最初のうちだけで、サークルや学校行事などで一緒になるうち、外部の人とも親密になっていくんです」