「金」はもともと「銅」を表す文字だった

「金」は、今で言う「金(gold)」ではなく、本来は銅を表す文字だった。古代中国では、紀元前2千年ごろに青銅器の大量生産が始まり、紀元前5百年ごろまでは最も貴重な金属とされていた。

「金」は最も高価な金属のことを表していた(出所=『部首の誕生』)

より古い時代に「銅」の意味を表していたのが「呂(⑩)」であり、二つの銅塊を表現した象形文字である。その後、西周代に、⑩の略体としての二つの小点に、意符としての「土」と声符としての「きん」の略体(省声)の形を重ねて加えた⑪が作られた。

その異体字には、点の配置を変えた⑫があり、これが楷書の「金」に継承されている。楷書では、偏の位置でやや変形して金偏かねへんになる。

意味にも変化があり、戦国時代になると最も高価な金属として金(gold)の加工技術が普及し、「金」はその意味に使用されるようになった。そして「銅」については呼称が変わり、「どう」を声符とする「銅」が作られた。

なお、初文の「呂」は「背骨」の意味に転用され、「銅」の意味では使われなくなった。経緯は明らかではないが、「背骨の並んだ形」と解釈されたようである。

「銭」は農具の一種を表す文字だった

「金」は、部首として広く金属に関係して用いられており、「鉱[鑛]・鋳[鑄]・錬[鍊]・さび」などの例がある(それぞれこう[廣]・寿じゅ[壽]・かんせい[靑]が声符の形声文字)。

落合淳思『部首の誕生 漢字がうつす古代中国』(角川新書)

金属の名を表す文字にも使われ、「銅」のほか「銀」や「鉛」などがある(それぞれこんえんが声符の形声文字)。金属製品を表す文字にも多く見られ、「鍋・鏡・鈴・鐘」などがある(それぞれきょうれいどうが声符の形声文字)。

意味が変わった文字として、例えば「鎮[鎭]」があり、「金属製のおもし(文鎮など)」が原義だが、そこからの連想で「しずめる(鎮圧など)」の意味になった。また「銭[錢]」は、「金属製の耒(農具の一種)」が原義だが、戦国時代に銅貨が普及し、黄河中流域では農具を模した形が流行したため、「ぜに」の意味になった(それぞれしん[眞]・せんが声符)。

「鋭」と「鈍」は、「切れ味が鋭い刃物」と「切れ味が鈍い刃物」の意味であり、いずれも一般化して「するどい」と「にぶい」の意味になった(それぞれえつとんが声符の形声文字)。意味が変わっても対義語の関係が残っている珍しい例である。

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