その日の心の在り方で味が随分変わる
利休百首といわれるものの中に、「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなることと知るべし」と詠まれたものがあります。
この歌は、茶の湯はお湯を沸かし、お茶を点てて、ただ、いただくという、茶道は決して難しいものではなく日常生活を元にしている教えであるということを伝えています。
このように簡単にみえるものこそ難しい。一服のお抹茶といえども、その日の心の在り方で随分変わってきます。
心が落ち着かずイライラしている時に点てたお抹茶は苦みが強く、とげがあるような味がします。しかし、同じお抹茶を使っても、心が平静で優しい気持ちで点てたお茶は、甘味があり、まろやかな味がします。
これは私たちの日常生活や仕事にもいえるのではないでしょうか。
毎朝同じ時間に起きて、電車に乗り、会社で代り映えのしない同じ生活が続いているという方がいらっしゃいますが、本当にそうでしょうか?
その簡単で単調に思えるものをどのような心持ちで過ごすかで半年後、1年後が大きく変わるのではないでしょうか。
その日一日一日を大切に生きること。それが茶道の精神の重要な部分だと思います。
「まるで舞踊をみている」ような美しい動き
ただ一椀のお抹茶を点てるために、袱紗という布で道具を清めたりする一連の所作であるお点前をみて、「茶道の美しい動き(お点前)はなぜ必要なのですか」という質問を受けることがあります。
茶道が始められた最初の頃は、別室に茶湯所が設けられ、そこでお抹茶を点ててから客室へ持ち運ばれる形式でした。
それが安土桃山時代になり、四畳半のお茶室が生まれると、お客様の目の前で道具を清め、お抹茶を点てる形式に替わりました。
それは何もやましいことはしていないことを証明するため、また、点てたばかりの熱いお抹茶をお客様に召し上がっていただきたいという心遣いの表れでもありました。
お点前は、袱紗という四角い布を規則的に折り畳み、道具類を清めたり、お茶碗を温めたりすることから始まります。
この一連の所作には全て意味があり、最小限の無駄のない動きは合理的でありながら、流れるように美しい形となっています。
外国人のお客様からは、
「まるで舞踊をみているようでした」
「芸術的でとても美しい」
という声が聞かれるように、彼らはお点前が始まると誰もが静かになり、じっとみつめています。
それまで騒がしかった小さな子どもまでも、お点前の静粛な空気を感じるのか、静かになりお行儀よく見入っています
しかし、お点前はただ単に手順や形が決まっているだけのものではありません。お点前をすることで、自分自身の精神や呼吸を整え、お道具を清めると同時にお茶室内も清浄にし、お客様の心も清めて落ち着かせるという意味もあります。
精神的な心の在り方が大切なものなのです。
茶道は動く禅ともいわれ、静かなお茶室で精神を統一してお抹茶を点てることは、精神修養することでもあります。
皆さんも目の前のお抹茶を美味しく点てることだけに集中してみてください。
頭の中にいっぱいだった仕事のことや悩みごとなど全てを忘れて、空っぽになることができると思います。
そして、是非簡単な英語を使って、外国人に日本の伝統文化である茶道の素晴らしさを伝えてみてください。