「スノボ選手に育てるつもりはまったくなかった」
冨田は高校卒業後、名古屋にあるスポーツ専門学校に進学した。当時はスノボ全盛期。その魅力に冨田はとりつかれた。専門学校卒業後は、新潟県妙高市にあるスキー場完備のリゾートホテルに就職する。仕事の合間にスノボを楽しむ生活が始まった。同じ趣味を持つ専門学校時代の同級生と結婚。ふたりの間に生まれたのが「せな」と「るき」だ。「響き」が気に入ったのと、「英語圏でも呼びやすい名前」ということで名付けたという。
「就職先がスノーボードをやれる環境だったから余計にハマったんだよね。大会に出たこともあるけど、上を目指してということはなかった。夫婦共通の趣味だったから、仕事の合間に順番に滑っていて、娘たちは赤ちゃんの頃からゲレンデにいたんだよ。スノーボードの選手に育てるという気持ちはまったくなくて、純粋に一緒に滑れたら楽しいかな、と」
せなとるきは3歳からスノボを始めているが、ふたりとも当時の記憶はないという。スイミングと機械体操も幼少の頃から習っていた。そのなかで特に興味を示したのがスノボだった。冬季は毎日のように滑るという抜群の環境のなかでグングンと上達。スノボ大会の最高峰である「Burton US Open」や「X Games」などをテレビ観戦するようになり、小学生の高学年くらいからスノボ選手として活躍する夢を抱くようになったという。
「2人とも上を目指したい気持ちが強くなってから、そのための環境を整えるようにサポートするようになった感じかな。ガチガチに練習させるようなことはなくて、ゲレンデに行けば一緒に楽しんで滑っていたよね。技術的なことでいえば、こんな技がしたい、というときは一緒に考えたりしたよ。ただ専門のコーチに教わるなど大人と接する機会が増えてからは、挨拶や礼儀の大切さだけは伝えていた」
冨田はハードルを上げすぎると負担になると考えて、「目の前の目標をちょっとずつ上げていく」というスタイルで娘たちの夢をアシストした。せなは中学1年時に、るきは小学6年時に競技団体のプロ資格を取得。その後もキャリアを積み上げて、ナショナルチームに選ばれるようになった。
小さい頃は、両親と共にゲレンデでスノーボードを純粋に楽しんでいた姉妹は、次第に、ハーフパイプを使ったエアの高さや、スピン(回転)の難易度・完成度・独創性を高め、技のレベルを磨くアスリートへと進化していったのだ。