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少しでも多くの演奏家に仕事を

ベートーベンが最後に完成させた交響曲『第九』の日本での発展にも目を向けたい。
日本における『第九』のプロオーケストラ初演は1927年、新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の演奏によるものだった。作曲から100年ほど経って、日本で演奏されたことになる。その後、日本でも数多くのオーケストラ団体で再演を重ねていく。年末にこれほど『第九』が演奏されるのは、日本だけのようである。その理由にも、音楽ビジネス上の工夫があったようだ。

『第九』は、オーケストラの人数だけでなく、声楽のソリスト(ソプラノ、アルトなどの独奏者)とさらに合唱の大所帯で演奏が行われる。大編成のオーケストラで、なおかつ、歌が付いているので、一度に大人数がこの演奏仕事にありつけることになる。戦後、日本が貧しい思いをしていた時期、クラシック音楽というある意味贅沢な芸術がポピュラーになる余裕は時代的になかった。そんな中にあって、『第九』なら、高額チケットが売れやすく、多くの演奏家を参加させることができた。少しでも多くの演奏家に仕事を与えようとしたプロデューサー、プロモーターの発想から、『第九』の企画が生まれたのだ。その発想力と行動力には、私も同じ業界で働くものとして頭が下がる思いである。

さらには、少しでも運営費を抑える工夫として、合唱部分はアマチュアを募集して、少ない演奏費でも賄えるようにしたという。これは単に経費を少なくするだけでなく、アマチュアの人は自分の舞台を家族友人に見てもらいたくて、出演者自身がチケットを一人が複数枚買っていく。合唱部隊を多くすることによって、アマチュアの人数を増やし、売り上げを確実に得た。

「CDの容量74分は、『第九』で決まった」説

『第九』は、テクノロジーとも深い関係がある。発明王エジソンが妻のメアリーに「いつの日かベートーベンの交響曲第9番が1枚のレコードに収められるようになるよ」と言った、という逸話が残っている。1980年代のCD開発において、偉大な指揮者カラヤンが「ベートーベンの『第九』が収まる長さにしてほしい」と進言し、CDの容量が74分になったという説もある。カラヤンが指揮をしていた『第九』はいつも60分台なので、その74分説には不適合な部分はあるにせよ、新しい技術の誕生に何度も『第九』の名前が出てくるほど、クラシック音楽の第一基準として、この『第九』が重要な位置を占めていることは間違いない。

CDの企画開発で、ソニーの大賀典雄社長(当時)がカラヤンと懇意にしており、カラヤンがその新しい技術開発にいち早く関係していたのは確かなようだ。このあたりは元ソニー社員が書いた『カラヤンとデジタル――こうして音は刻まれた(改訂版)』(森芳久、ワック出版部)にくわしい。

デジタルでの音楽技術はその後さらに発展し、現在ではハイレゾが普及し、またCDではなくストリーミングで音楽を楽しむという時代が始まっている。音楽は常に同じようにそこにある気がするが、リスナーに伝える技術は今も発展し変化し続けている。

ちなみにこの『第九』74分説で名前が挙がるのは、フルトヴェングラーという指揮者の録音である。65~66分程度のカラヤン指揮によるものと、ぜひ聴き比べていただきたい。「指揮者が違うと、楽曲の趣も変わる」という意味がこれほどよくわかるものも、また『第九』の楽しみの一つである。

クラシック音楽は、昔の、古臭い音楽ではない。小難しい話ばかりの分野でもない。音楽は人の感情に入り込み、そして生きる糧と価値を与えてくれる。感動、心を揺り動かされること、クラシック音楽には、それらがある。音楽はいつもそこにあり、それはいつも誰かの手によってもたらされたものである。音楽がそこにあるかぎり、私たちは1人ではないのだ。

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