伯父の正式な養子だった弟に比べ、居候の身分のままだった

「一歳の誕生日の写真を見ると、柳瀬家伝来の泣きべそ眉。八の字タイプの下がり眉で、これは父にも長兄の伯父にも共通しています。弟の千尋の眉は、違っていました。母親に似たのでしょう。しかし弟の中学生のときの写真と父の中学生時代の写真を見ると、びっくりするほど似ています。瓜ふたつと言ってもいいくらいです。ぼくは少し違う。目が小さい。これはどうも父方の祖母・貞衛の方に似てしまったみたいです。ルックスに関しては父母の両方の欠点だけが遺伝したみたいで実に残念です」

また、やなせが自身を幾度も「おとなしい」「暗い」と振り返っているのは、「居候」の立場も影響していた。

評伝『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫、梯久美子著)によると、やなせもかつては素直で子どもっぽい性格だったが、伯父の家の居候になり、幼くして分別を身に着け、一歩下がってまわりを冷静に見るようになったという。一方、正式な養子として引き取られていたからか、甘えん坊でわがままで、それが愛らしい千尋を、嵩はうらやましい思いで見ていた。

1945年8月15日、ラジオで敗戦を告げる玉音放送を聞く人々
1945年8月15日、ラジオで敗戦を告げる玉音放送を聞く人々(写真=『日本のいちばん長い日』1968年英語版、262ページ/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

時には取っ組み合いの兄弟ゲンカもした

「あんぱん」では千尋がずっと父の写真をお守りとして持っていたことが明かされたが、これは史実通り。やなせは、弟が愛読していた三好達治の詩集の中に実の両親の写真をはさんでいるのを発見、初めて弟の心情が理解でき、と同時に、育ててくれた伯父伯母に申し訳ない気分になったと『人生なんて夢だけど』に記している。