10万人以上の日本兵が亡くなった海峡

千尋は幼少期から一転、中学では柔道二段、成績優秀な青年に成長する。旧制城東中学校(現追手前高校)を経て京都帝国大学法学部を繰り上げ卒業後、海軍予備学生として入隊する。久里浜の対潜学校で聴音技術を学ぶ。聴音とは、水中からの音を感知し、潜水艦や水雷艇などの敵艦艇の接近を早期に発見する役割を担う。

1944年5月に海軍少尉として任官し、幹部として主力艦などを護衛する駆逐艦「呉竹」への乗組を命じられる。