辺野古はあくまで“候補地”。決定地ではない

震災復旧と原発事故の収束作業に世間の目が奪われているなかで、日米両政府は沖縄普天間基地の辺野古移設準備を着々と進めている。

6月21日、米国務省で「2プラス2」(日米の外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会)が開かれ、日米両政府は共同声明を発表した。10日後の7月1日にはレオン・パネッタCIA長官が新国防長官に就任。同16日には、同長官と北沢俊美防衛大臣との間で初の電話会談が行われた。会談では、北沢大臣が辺野古の基地新設作業を「着実に進める」と述べ、パネッタ長官が在沖米海兵隊のグアム移転について「できる限りのことをしたい」と応じたことを新聞各紙が伝えている。

今回の「2プラス2」で、日米両政府は移設先として現行案の「辺野古」を確認し合った。これまで日米間で「普天間の代替施設を辺野古地区で探す努力をする」ことは合意されてきたが、今回は辺野古を移設先として特定している。発表された共同声明は、米国議会から飛び出した「辺野古反対。嘉手納基地統合を推奨」という提言など、まるで聞いていなかったかのような文面だ。

しかし、騒音をはじめとする嘉手納基地のさらなる環境悪化に不安を抱く多くの県民が、断固として嘉手納統合案を拒絶している。そもそも、国会審議を経ずして国庫からの巨額拠出を密かに米側に打診した事実一つ取っても、今後の難航が予想される。現在はまだ、災害復旧と原発事故収束に集中せざるをえないため、国会が充分に機能していない面もある。あるいは、だからこそこの混乱の最中にコトを進めようとの思惑が日米両政府にはあるのかもしれない。

しかし、辺野古基地新設には国民に周知されていない根本的な問題が横たわる。普天間移設にもさらなる迷走要因が動き始めている。

そもそも、辺野古は「案」にすぎず、候補地であって決定地ではない。10年5月28日の日米共同声明でも、外務省が仮訳のままHP上に放置し続けている声明文には、「日米両政府は」「キャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する意図を確認した」とあり、09年2月のグアム協定でも「日本国政府は、アメリカ合衆国政府との緊密な協力により」「代替施設を完成する意図を有する」との曖昧な表現に留まっている。つまり、「辺野古で探してみること」が合意されたにすぎず、そこが不適切であれば当然、他の候補地を探すことになる。それを実行して国内に適地が見つからなかった鳩山由紀夫前首相は、「在沖米軍には抑止力あり」として結局は辺野古に舞い戻ったため、首相の座を引きずり下ろされた。その後、「抑止力は単なる方便だった」と告白、前後して米国の有力議員や学者からも「在沖米軍に抑止力などない」との発言が相次ぐ。そのため辺野古基地新設の意義は半壊し、「普天間基地国外撤去の主張」という選択肢もあったことが判明する。

※すべて雑誌掲載当時

(U.S.RCS/Reuters/AFLO、AP/AFLO=写真)