天皇家の分裂を利用するという政治はできなくなった
しかし、王統の分裂が解消したことは、皮肉なことに、兼家・道隆・道長的な権力のあり方、つまり、分裂した王統の双方を天秤にかけ、仲介・操作することを権力の基盤にするという権力のあり方を不可能にした。
しかも、このなかで、倫子腹の頼通らが後一条の摂政として表舞台を歩み、明子腹の頼宗らが前天皇=三条と皇太弟=後朱雀に近い関係をもって第二次的な立場に立たされたことは、宮廷政治史にさまざまな矛盾をもちこむ結果となった。
王家の諸流に兄弟姉妹が配置されるということは、逆にいえば、王家内部の対立が直接に摂関家に反映し、摂関家内部の対立が王家内部に反映し、王位をめぐる紛争がいよいよ激化していく可能性をひらいた。
もし、現天皇=後一条に男子が生まれ、皇太弟=後朱雀に男子が生まれなければ、王位は後一条の嫡流に伝わっていくことになっただろうが、双方に男子が生まれるならば、冷泉から円融への譲位と同じ「皇太弟」間題が発生し、ふたたび王統迭立の可能性が生ずるのである。
このようにして、道長がさまざまな幸運をひとりじめして形成した稀有な閨閥は、それが完全であればあっただけ、後に大きな矛盾を残すことになる。
1948年、東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修了。専門は日本中世史。著書に『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)などがある。