〈「そんな時だった。親父が病に倒れたのは」人気料理人・笠原将弘が今も忘れることのない“父の味”「まっ茶色の弁当がうまかった」〉から続く
東京・恵比寿の日本料理店「賛否両論」は2024年で開業20年目を迎える。その華やかな成功の陰には、母・父、妻を失った壮絶な苦しみがあった。ここでは『賛否両論 -料理人と家族-』(主婦の友社)より一部抜粋し、最愛の妻“えーりー”さんががんと診断された日々を辿る。(全2回の後編/前編を読む)
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僕は、「賛否両論」のコースの値段を、ディズニーランドの入場料と同じ設定にした。
当時、フレンチやイタリアンにはデートで行けても、日本料理の敷居はまだまだ高く、若者がデートで使える価格にしたかった。毎日は難しくても、特別な日に、ちょっとがんばれば通える店。
日本料理を、もっと身近にしたかった。
雑誌の取材を受けたときには、「ライバルはディズニーランドです」と答えてきたが、じつはディズニーランドは、えーりーと子どもたちとの思い出が詰まった場所でもある。
えーりーは、ディズニーランドが大好きだった。
なんでそんなに好きだったのか、理由は聞いたことがない。
「賛否両論」を開店してからさらに忙しくなった僕にとって、家族とゆっくり過ごせる時間は、店の定休日に確保できるかどうか、といった具合。僕はそんなにしょっちゅう行っていたわけではないけれど、子どもが1人から3人に増えてもなお、ディズニーランドは彼女にとって「夢の国」だったと思う。
末っ子の長男が小学校に上がったころ、僕はたまたま休みで家にいた。
この日のことは、いまでも忘れられない。
突然、えーりーが言った。
「ちょっとこれから病院に行ってくる」
「え、どうした?」
「生理でもないのに、すごく出血してて……」
女性の体のことは男の僕には詳しくわからないということを差し引いても、そのころのえーりーは、特段体調がわるそうでもなんでもなかった。病気の兆候は、いっさいなかった。
えーりーは、「こんなに出血するなんて、ちょっとこわい」と言った。