40歳で「初の女性課長」就任
横沢さんとは2004年、均等法第一世代の総合職女性が管理職への昇進時期を迎え、どのように職場で能力を発揮してキャリアを築いているのかについて、話を聞いたのが始まりだった。入社以来、最も長く在籍して経験を積み、実績を上げてきた広報部で、社内初の女性課長に40歳で昇進してから1年ほどが経過した頃だった。
濃紺のノーカラージャケットにタイトスカートという落ち着いた色、デザインのスーツ姿に、襟元に白地に淡いピンクの花柄のスカーフを巻いて控え目に可憐さを醸し出す。明瞭ながら少しゆっくりとした口調で、微笑みを絶やさない。肩に力の入らない穏やかな雰囲気だったのが、とても印象に残っている。
「社内だけでなく、社会からも、もてはやされて……均等法(男女雇用機会均等法)が施行された年に、女性総合職第一号として入社しましたが、入社数年で多くが辞めていきました。同期入社したほかの女性2人も、入社2、3年目で早々と退職して、いずれも20代半ばで結婚しました。均等法前の女性たちと何ら変わらない人生を歩んだわけです。せっかくチャンスが巡ってきたのに、残念でなりませんでした。後に続く後輩女性たちの見本にならないといけなかったのに……。奥田さんもそんな苦い経験をされたんじゃないんですか?」
「私は年齢的には均等法第一世代ですが、大学卒業後、非正規で働いてお金を貯めてから海外の大学院に進学したので、入社時期は就職氷河期で、均等法世代とはズレているんです。ただ、同世代としての思い入れは強く、取材を通して皆さんの思いに少しでも近づきたいと努めてきました」
「これからが本当の腕の見せ所」
「そうでしたか。では、説明しますね。単刀直入に言うと……総合職女性たちの気合が足りなかったのだと思いますよ」
「えっ? 気合というと……」
「時代が変わろうとしているのに、その波に乗れなかった人があまりに多かった。男性と肩を並べて仕事をするんですから、厳しくて当然ですよね。でも、それに耐えられなくて……結局は、結婚に逃げたんじゃないでしょうか」
柔和な表情は変わらないが、言葉は至って厳しい。均等法第一世代の女性の多くが入社数年で辞職した理由を会社のせいにするのではなく、本人に突き付けていたのも新鮮だった。
「社内で女性初の課長になって、今後、仕事とどう向き合っていきたいと考えていますか?」
「これからが、本当の腕の見せ所だと思っています。もともと均等法第一世代の私が初の女性課長になるのは決まっていたことですから。だから、仕事ひと筋で頑張ります。自信はありますよ」