『キングダム』の王騎と並ぶ連戦連勝の将軍・白起

秦の軍は昭王の時代、すでに他国から恐れられるほど強さを増していた。とりわけひとりの将軍が連勝に次ぐ連勝を重ね、畏怖の対象となっていた。その名を白起はくきという。『キングダム』で触れられる白起の逸話は史書にはっきりと記されている。

白起と並ぶ秦の六大将軍として描かれている王騎は、実際に昭王時代から秦に仕えた王齮おうきをモデルにして描かれている。同じ時代、秦にはもうひとり王齕おうこつという武将も存在していたが、王齮は王齕と同一人物という説もあって少々ややこしい。いずれにしても、『キングダム』の主要登場者は、その大半が実在した人物である。

史実の白起に話をうつすと、前293年から韓、魏の両国を攻め、わずか2年足らずで魏の61城を落とした。前273年には韓、魏、趙の将軍をそれぞれ捕らえ、前264年には韓の5城を攻め落とす。次いで前260年には秦に次ぐ兵力を誇っていた趙と戦い、大勝をおさめた。白起に完膚無きまでに打ちのめされた趙は、衰退へと向かう。戦国時代最大の規模と言われるこの戦いは、のちに「長平の戦い」として歴史に刻まれた。

白起は長平の戦いに勝利するが、趙の40万の兵を生き埋めに

白起は長平の戦いでまたしても名を挙げたが、戦後処理で自らの名を落とすことになる。40万人あまりの趙兵を捕虜にした白起は、その食料が賄えず、また反乱を警戒したため、少年兵を除く全員を生き埋めにしたのだ。

のちに白起は古代中国の名将を軍神として讃える「武廟ぶびょう」に祀られた。白起の前には周の太公望呂尚りょしょう、あとには三国時代の関羽かんうなどが祀られているが、やがて白起の名は武廟から消えた。長平の戦いで40万人の降伏兵を虐殺した行為が武神にふさわしくない、と批判されたためだ。長平の戦いに勝利したあと、白起はそのままの勢いで趙の都・邯鄲かんたんへと攻め込もうとしたが、秦の宰相に止められた。あまりの活躍を見せる白起に、自分の地位を脅かされることを恐れたのか、宰相の決断は「趙との和議」であった。宰相への不信感を抱いた白起は引退し、昭王に出仕を求められても断りつづけたという。

『キングダム』で描かれる「長平の戦い」の捕虜の怨念
白起は「長平の戦い」の捕虜40万人を生き埋めにした。その恨みの大きさを、『キングダム』では万極という趙の将軍と部下たちに象徴させている。出典=『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』、漫画『キングダム』(原泰久作、ヤングジャンプコミックス)27巻より ©原泰久/集英社