少しでも宗教を疑うと激怒される

母は困りごとがあると、何かにつけて少し高額なお布施をしたり、少額ではあったものの毎月、封筒に入れて教団にいくらかの額を献金し続けていた。いつまで無駄な金をむしり取られ続けるのだろう。私はいろいろな本を読むうちに、いつしかそんなことを考えるようになっていった。

しかし母の頭の中に、宗教を辞めるという選択肢は微塵(みじん)もなかった。それどころか、少しでも私が宗教を疑うことを話すと激怒した。そして、宗教を辞めたばっかりに人生が暗転した人の話ばかりするようになり、さらに何かを忘れるかのように宗教に没頭していくのだった。

一方で父も、いつも何かに焦っていた。教師は出世コースを目指そうとすれば、ヒラの教員から教務主任、教頭、校長と、役職が上がっていく。当然そのためには、さまざまな根回しや通常のクラス運営に加えて、昇進試験の勉強が必要になってくる。もちろん、一生ヒラの教員でいることもできる。だから家庭生活を優先したり、子どもたちと向き合う現場にこだわることを選ぶ教師は、自ら出世コースを望まないというのは母から聞いた話だ。

父は当然のごとく、出世コースに乗りたがった。父にとって昇進こそが自らのアイデンティティだったからだと思う。父は、いつも何かに()き立てられていた。そして終日自室に閉じこもり、猛勉強をすることが多くなった。その甲斐あってか、父は出世コースの階段を順調に駆け上がっていった。

 傍から見ていて、父にとって小学校の教員という仕事はただの食い扶持(ぶち)に過ぎず、子どもなんて本心では、まったく好きではなかったように思う。