ふと気づくと、もう下の子を保育園へ迎えに行く時間だ。慌てて下の子を拾い、スーパーに寄って帰宅する。ごはん、お風呂を経て、子どもの宿題の面倒、明日の保育園の準備をしてから子どもが布団に入るまでは、まったく休めない。時計の針が午後9時を回った後、ミカ先生はようやく自分の時間を取ることができる。最近はこの時間を教材研究に充てている。

授業準備自体はなるべく学校にいる間に行うが、より授業改善を行っていくためには、いろいろな書籍を読んだり、文学や映画にふれたりすることも大事だ。特に、ミカ先生は小学校免許の他に中学・高等学校の英語免許も持っており、「外国語活動」に力を入れている。

教材研究のために月に5冊は本を読むが、こうした本は学校には所蔵がないためインターネットで取り寄せている。この自己研鑽けんさんの時間は、ミカ先生にとって教師としてのやりがいも感じられ、不可欠な時間だが、さすがに今日は瞼が重い。読み始めて数分もしないうちにミカ先生は灯りを消した。

さまざまな種類がある教職員の「自腹」

ミカ先生の1日を追ってみた。そのなかでいろいろな種類の自腹が存在していたことに気づいただろう。

一口に自腹といっても、授業に関わるものや教室環境を整えるためのもの、学校行事に関わるものといった種類別に分類することもできるし、だれが使うものなのかという視点でいえば、教職員本人が使うもの、教職員みんなで使うもの、学級みんなで使うもの、子ども個人が使うもの、といった分類をすることもできる。

自腹を切ることは、単に本人の問題だけではなく、周囲の教職員や学校財務制度に及ぼす影響が少なくない。そのため、到底、個人で勝手に判断すればよい、とはならないのである。その理由はいくつかある。

1人の自腹が周りの自腹を生んでしまう

第1に、当人にとっては、教育的意義や効率性など何らかの積極的な意義を感じて自ら自腹を切ることを望んでいる「積極的自腹」であっても、それは他の教職員の「消極的自腹」(やむを得ず自腹を切ることに同意をしている自腹)や「強迫的自腹」(どうしても逃れられないと感じる事情や背景の下で自腹を切ることを選択せざるを得ない自腹)を生み出しかねない。

「足並みをそろえる」ことが重視される教職員文化では、1人が自腹を切ると、他の教職員も「足並みをそろえて」自腹を切ることが求められやすいからだ。