「公費が足りない」「未納がある」状態が隠される
第2に、自腹を切ることで、「公費が足りている」「未納はない」という錯覚が生まれる。「公費が足りないから」「なかなか保護者が払わないから」といって、その穴を自腹で補填していくことにより、会計帳簿上、支障がない状況とみなされてしまう可能性がある。その結果、根本的な問題状況を覆い隠すこととなり、教育行政の条件整備や制度改善を進める契機を失いかねないこととなる。
第3に、自腹を切り続けることにより、経済的負担に対しての抵抗感が薄れていく。教育活動を効果的にしたり、校務を効率的に進めたりするための「必要経費」や「金で時間を買う」という発想で自分にとっては少額の自腹を繰り返していると、その自腹に意義を感じるようになり、抵抗感が薄れていく。
そして、それは自分が自腹を切るだけではなく、他の教職員にも「わたしも自分で払ってきたよ」と抵抗なく声をかけ、保護者が負担する費用についても「こちらがこれだけ支払っているのだから、自分の子の分くらいは払ってほしい」というように、経済的負担を他者に迫ることに抵抗感がなくなっていきかねない。
実態さえも明らかにされていない「教職員の自腹」
ここまでみてきたように、教職員の自腹行為は、教師の残業に構造がよく似ている。その人が好きでやっているのだからそれでいい、というようにみていると、いつの間にか自腹なしに公立学校の教育が成り立たない、という状況になってしまう危惧がある。
いや、すでにそうした状況になっているのではないか。
ましてや、教師の残業は国レベルでの調査が曲がりなりにも数回あり、現在、大いに問題現象として取り上げられてきているが、教職員の自腹のほうはそれに対する意識も醸成されていなければ、実態さえも明らかにされてきていないのである。
教職員の自腹はどれほどなのか、教職員の自腹は問題なのか、それはなぜなのか、教職員の自腹はどのように対応していくべきなのか――。今、議論を始めるときだ。
新潟大学大学院教育学研究科修士課程を経て、2011年、東京大学大学院教育学研究科博士課程に進学。2015年より千葉工業大学の教職課程に助教として勤務し、教育行政学を担当(現在は准教授)。2016年12月博士号(教育学)取得。「子どもを排除しない学校」「学校の自治」「公教育の無償性」の実現、「教職員の専門職性」の確立を目指し、教材教具整備・財務に関わる学校基準政策、学校評価・開かれた学校づくり・チーム学校等の学校経営改革について、現代的視点と歴史的視点の両面から研究している。著書に『占領期日本における学校評価政策に関する研究』、共著に『公教育の無償性を実現する 教育財政法の再構築』、『隠れ教育費 公立小中学校でかかるお金を徹底検証』など。
「事務職員の仕事を事務室の外へ開き、教育社会問題の解決に教育事務領域から寄与する」をモットーに、教職員・保護者・子ども・地域、そして社会へ情報を発信。研究関心は「教育の機会均等と無償性」「子どもの権利」「PTA活動」など。主な著書に『学校徴収金は絶対に減らせます。』(学事出版、2019年)、『本当の学校事務の話をしよう』(太郎次郎社エディタス、2016年)、『隠れ教育費』(太郎次郎社エディタス、2019年)、『学校財務がよくわかる本』(学事出版、2022年)など。
日本学術振興会特別研究員(DC2)。筑波大学人間学群教育学類で教育社会学を学び、名古屋大学大学院教育発達科学研究科の博士課程に進学。専門は教育社会学、障害児教育。教育に医療の知識がもち込まれることに関心を寄せ、とりわけ情緒障害に着目し、歴史的な観点から研究をしている。主要業績として「普通学級における精神衛生的処置と『性格異常』」(『保健医療社会学論集』近刊)など。