近年、教職員の長時間労働に注目に集まっているが、教職員の働き方の論点はそれだけではない。教育行政学者の福嶋尚子さんは「教師の残業は国レベルでの調査があり、問題現象として取り上げられてきているが、教職員が、職務に関係する費用を個人で負担する『自腹』については、実際は広く存在しているのにもかかわらず、それに対する意識も醸成されていなければ、実態さえも明らかにされてきていない」という――。(第1回/全3回)

※本稿は、福嶋尚子、栁澤靖明、古殿真大『教師の自腹』(東洋館出版社)の一部を再編集したものです。 

駅の構内で整列する修学旅行中の学生
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ミカ先生の「自腹フル」な一日

小学校教員は、基本的に全教科等を受け持つことが多い。さらに出張や学校行事、子どもの対応や家庭との連絡・相談など、毎日多忙だ。

そんな小学校教員の自腹に関わる1日を紹介しよう。

小学校の正規教員、林ミカ先生(仮)だ。教員経験は非正規雇用期間や産休・育休を挟んではいるものの10年目、地方都市にあるこの勤務校に赴任して2年目にして今年初めての6年生担任、2組の担当だ。プライベートでは2人の子どもがいて、中学校で教員をしているパートナーと一緒にマイホームのローンを返済中である。クラスがようやく落ち着いてきた7月のある日のことだ(なお、ミカ先生をはじめとする、このストーリーの登場人物は本調査やインタビュー調査などを踏まえて描かれた架空の人物である)。

隣のクラスで始まった「シールシステム」

出勤したミカ先生は、昨日、終えることができなかった単元テストの採点を始めた。昨日は、下の子を保育園に迎えに行く時間が近づいていたため、途中で切り上げざるを得なかったのだった。

採点が終わったタイミングで、隣の机から6年3組の岸川先生が声をかけてきた。

「先日はすみませんでした、勝手に『シールシステム』を始めてしまって」――申し訳なさそうな顔をされると、こちらもつらい。

「構いませんよ、子どもたちも思いの外、喜んでいます。6年生でもシールを集める達成感があるんですね」

と応じた。岸川先生の3組で目標を達成したときややらなければいけないことをしたときにシールをもらえるシステムが始まったことを聞きつけ、ミカ先生のクラスでも「3組ずるい! 2組でもやりたい!」という声が上がったのだった。

仕方ないので遅れてシールシステムを導入したが、もともと計画しておらず、手持ちのシールもほとんどなかったため、100円ショップで子どもの喜びそうなシールをそろえたところだった。隣のクラスと差がつくといけないし、子どもたちがここまで盛り上がってしまった以上、やらないわけにはいかない。岸川先生にも本当は相談してほしかったが、まだ若い先生にプレッシャーをかけるとよくないのでいわないでおく。いわなくても、気にしているみたいだし。

図工の材料、修学旅行費用

今日の図画工作では、工作活動を行う。粘土や絵の具セットは保護者に買ってもらっているが、それに家庭から持ち寄ったお菓子の箱や割り箸、ビーズ、梱包材やモールなどをふんだんに使って飾りつけをする。すでにどんなものを作るのか決めているので、子どもたちは指示をすると各々にぎやかに作業を始めたが、今日も作田くんと桐島さんがまごまごしている。2人に聞くと、「材料を家から持ってこられなかった」という。予想通り。

ミカ先生は用意していた材料を2人に手渡して、「これ、好きに使っていいからね」というと、2人は喜んで作業を始めた。

じつは、作田くんは、先日の修学旅行で積立金が納入されないままだったため、ミカ先生は仕方なく2万円を代わりに納入して、一緒に修学旅行に行った。

修学旅行の積立金の督促業務は初めての経験だったため、事務職員の高井先生に相談したが、「頻繁に連絡して保護者に督促するしかないです」というアドバイスにならないアドバイスをされ、校長に相談したところ、「督促しても払えないなら連れて行けないよね。ちゃんと督促して」と、むしろ叱られてしまった。

もちろん督促はがんばったが、どうしても納付してもらえないので、家でパートナーに相談をしたところ、中学校ではもっと未納が多いらしく、ひとしきり督促業務についての愚痴めいた話を聞かされた後、「それくらいで一緒に修学旅行に行けるなら、払ってあげてもいいんじゃない」といわれてしまった。どうもパートナーとは金銭感覚にずれがある。でもやはり作田くんだけ行けないのは気の毒だ、という思いで、結局払ってしまった。保護者に督促を続けるのもつらくなってしまったというのもある。

修学旅行のお小遣いも

桐島さんは、修学旅行の積立金は支払われたものの、お小遣いを渡してもらえず、お土産屋さんでポツンとしていたので1000円をこっそり手渡した経緯がある。作田くんに支払った額よりもだいぶ少なかったので、つい気が大きくなってしまったような気もする。

しかし、他の子と一緒に活動をする作田くんと桐島さんがうれしそうだから、ミカ先生も不満はあるものの、仕方ないなと思っている。でも、2人の保護者には正直なところ腹が立ったりする。

給食費はもちろんミカ先生も支払っている。味はおいしいのでその点はいいのだが、健康が気になり始めたミカ先生からすると、もう少し野菜を増やしてほしいと思っている。だけれど文句はいえない。忙しいのでいつも3分くらいで飲み込むように食べる。

給食を食べる小学生
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学級文庫の書籍

給食後の昼休み。子どもたちはそれぞれ好きに過ごすが、2組の子どもたちは「ミカ先生の学級文庫」が好きな子が多い。学校の図書室には入っていないようなおすすめの本をミカ先生が用意してくれているのだ。新しい本や話題の本もあるし、図書室の本よりきれいで競争率が低いので、本好きの子どもたちが群れを成す。

珍しく、今日は、6年1組の子たちが2組の教室を廊下からのぞき込んでいる。「2組ばっかり本がたくさんあってずるい」と1組の子たちが騒ぎだしてしまった。すぐに駆けつけて、「1組の子も借りていいんだよー。ここのノートに名前と借りる本の名前を書いてね」と声をかけたが、結局1組の子たちは文句をいいながら出て行ってしまった。

つまり本を読みたいというより、2組だけずるい、という気持ちが先行していたようだ。やれやれ、とため息をつきながら、ミカ先生は「1組の先生に謝らないといけないな」と思う。これでは、勝手に「シールシステム」を始めた岸川先生に文句はいえない。

修学旅行の下見費用

そこに教頭の吉井先生が暗い顔でやってきた。

「すみません。前に行ってもらった修学旅行の下見なんですけど、やっぱり学年の先生全員分は旅費が出せないんです」

自治体のルールではそこまで細かく決まっていないが、もともとの旅費の配当予算が少なく、学年の先生全員で下見に行く必要はないとの校長先生の考えで、旅費の支給が滞っていた案件だった。

「え、やっぱり1人分しか出せないんですか?」

ミカ先生の隣で岸川先生が不満そうに声を上げた。「そうなんです」と縮こまる教頭をこれ以上責めるわけにもいかないが、納得はいかない。

「トイレの場所とか、何かあったときの避難ルートとか、1人だけみてきても下見とはいえないでしょう。なるべく多くの人数で下見しないと、安心して修学旅行に行けませんよ」と、ミカ先生は以前にも主張したことをもう一度繰り返した。吉井先生は「本当に、その通りです」と頭を下げるけれども、吉井先生は悪くない。

「後で、主任と相談してみんなで割り勘にします」と応じるしかなかった。岸川先生はまだ不満げだったけれど。

家庭訪問の駐車場代

今日は夕方に、学校を休みがちな徳田くんの家を訪問する約束がある。

この学校は校区が広くて、なかには徒歩1時間かけて通学してくる子もいる。バスの便があまりよくないのでバス通学も難しい。そのため、家庭訪問用に、教職員で共有する自転車が1台ある。しかし、今日はタイミングの悪いことに先約があったようで、共有している鍵置き場には鍵がなくなっていた。ミカ先生は仕方なく、自家用車で徳田くんの家に向かった。

駐車場代が自腹になるけど、遅刻しないためには仕方ない。久しぶりに会った徳田くんはいろいろ話したかったようで、1時間たっぷりと会話をしてくれた。徳田くんが学校にきたときに気をつけてみよう、と思うことを、いろいろと聞くことができた。ミカ先生は駐車場に戻って、600円の精算をした。校区内は近距離とみなされ、この駐車場代は請求できない。

ふと気づくと、もう下の子を保育園へ迎えに行く時間だ。慌てて下の子を拾い、スーパーに寄って帰宅する。ごはん、お風呂を経て、子どもの宿題の面倒、明日の保育園の準備をしてから子どもが布団に入るまでは、まったく休めない。時計の針が午後9時を回った後、ミカ先生はようやく自分の時間を取ることができる。最近はこの時間を教材研究に充てている。

授業準備自体はなるべく学校にいる間に行うが、より授業改善を行っていくためには、いろいろな書籍を読んだり、文学や映画にふれたりすることも大事だ。特に、ミカ先生は小学校免許の他に中学・高等学校の英語免許も持っており、「外国語活動」に力を入れている。

教材研究のために月に5冊は本を読むが、こうした本は学校には所蔵がないためインターネットで取り寄せている。この自己研鑽けんさんの時間は、ミカ先生にとって教師としてのやりがいも感じられ、不可欠な時間だが、さすがに今日は瞼が重い。読み始めて数分もしないうちにミカ先生は灯りを消した。

さまざまな種類がある教職員の「自腹」

ミカ先生の1日を追ってみた。そのなかでいろいろな種類の自腹が存在していたことに気づいただろう。

一口に自腹といっても、授業に関わるものや教室環境を整えるためのもの、学校行事に関わるものといった種類別に分類することもできるし、だれが使うものなのかという視点でいえば、教職員本人が使うもの、教職員みんなで使うもの、学級みんなで使うもの、子ども個人が使うもの、といった分類をすることもできる。

自腹を切ることは、単に本人の問題だけではなく、周囲の教職員や学校財務制度に及ぼす影響が少なくない。そのため、到底、個人で勝手に判断すればよい、とはならないのである。その理由はいくつかある。

1人の自腹が周りの自腹を生んでしまう

第1に、当人にとっては、教育的意義や効率性など何らかの積極的な意義を感じて自ら自腹を切ることを望んでいる「積極的自腹」であっても、それは他の教職員の「消極的自腹」(やむを得ず自腹を切ることに同意をしている自腹)や「強迫的自腹」(どうしても逃れられないと感じる事情や背景の下で自腹を切ることを選択せざるを得ない自腹)を生み出しかねない。

「足並みをそろえる」ことが重視される教職員文化では、1人が自腹を切ると、他の教職員も「足並みをそろえて」自腹を切ることが求められやすいからだ。

「公費が足りない」「未納がある」状態が隠される

第2に、自腹を切ることで、「公費が足りている」「未納はない」という錯覚が生まれる。「公費が足りないから」「なかなか保護者が払わないから」といって、その穴を自腹で補填していくことにより、会計帳簿上、支障がない状況とみなされてしまう可能性がある。その結果、根本的な問題状況を覆い隠すこととなり、教育行政の条件整備や制度改善を進める契機を失いかねないこととなる。

福嶋尚子、栁澤靖明、古殿真大『教師の自腹』(東洋館出版社)
福嶋尚子、栁澤靖明、古殿真大『教師の自腹』(東洋館出版社)

第3に、自腹を切り続けることにより、経済的負担に対しての抵抗感が薄れていく。教育活動を効果的にしたり、校務を効率的に進めたりするための「必要経費」や「金で時間を買う」という発想で自分にとっては少額の自腹を繰り返していると、その自腹に意義を感じるようになり、抵抗感が薄れていく。

そして、それは自分が自腹を切るだけではなく、他の教職員にも「わたしも自分で払ってきたよ」と抵抗なく声をかけ、保護者が負担する費用についても「こちらがこれだけ支払っているのだから、自分の子の分くらいは払ってほしい」というように、経済的負担を他者に迫ることに抵抗感がなくなっていきかねない。

実態さえも明らかにされていない「教職員の自腹」

ここまでみてきたように、教職員の自腹行為は、教師の残業に構造がよく似ている。その人が好きでやっているのだからそれでいい、というようにみていると、いつの間にか自腹なしに公立学校の教育が成り立たない、という状況になってしまう危惧がある。

いや、すでにそうした状況になっているのではないか。

ましてや、教師の残業は国レベルでの調査が曲がりなりにも数回あり、現在、大いに問題現象として取り上げられてきているが、教職員の自腹のほうはそれに対する意識も醸成されていなければ、実態さえも明らかにされてきていないのである。

教職員の自腹はどれほどなのか、教職員の自腹は問題なのか、それはなぜなのか、教職員の自腹はどのように対応していくべきなのか――。今、議論を始めるときだ。