押し付けて感謝を求める「妄想の言語化」

しかし「自分はすごい」と思っている人間は、時に「自分のやり方は誰にでも当てはまる素晴らしいものだ」とか「自分のやり方を採用しないのは馬鹿だ」と考え、押し付けます。そして、感謝を求めるのです。よいものを与えてやったのだから、自分では辿り着けないものを教えたのだから、教えてもらえたことに感謝し、喜んでその方法を採用しないと「おかしい」のです。

これは、典型的な妄想の言語化です。実際に起きている現象を説明する言葉が、間違っているのです。実際には人によって得意なやり方は違うし、力を発揮できる方法も違います。にもかかわらず自分のやり方のほうが正しいと思っているのは、妄想なのです。現実から始めずに、妄想から始めています。

その妄想とは「自分はすごい」という妄想です。現実を見てみれば、彼女はすごかったのでしょうか。チームとしての成果も出せず、多くの人の人生を狂わせ、最終的には自分も孤独にしています。

自分と異なる世界を尊重する

一体どうすれば人と生きるための言語化ができるでしょうか。それは例えば、自分と違う仕事の仕方をしたときに「そういうふうに仕事をしてるんだ。私と違うけど、そっちのほうがやりやすいのかな?」と尋ねることだったかもしれません。あるいは意見を出してくれたときに、「それは前期に失敗したアイデアと似てるけど、何か作戦があるのかな?」といった応答だったかもしれません。もしくは進捗しんちょくを共有してもらえたときに「早いタイミングで状況を共有してくれてありがとう」と言うことかもしれません。

これらに共通することは、「相手の言葉」を尊重しようとする姿勢です。相手がどんな理由でそれに取り組んでいるのか、相手にはどんな世界が見えているのか、相手はどんなことを大切にしようとしているのか。

なかなか意見を出しづらい人に対しては「ちゃんと考えてから話したいタイプなのかもしれないから、次から打ち合わせの前に質問を先に伝えておくね。みんなの前で意見を言うのが不安だったら、何度か事前にテキストでよかったら相談に乗るからね」と伝えることで、安心して意見を出してもらえるかもしれません。そのうち、意見を出すことへの抵抗感が減れば、事前の確認も少なくなっていくことでしょう。

孤独になる言語化

現象=「優秀な人と仕事がしたい」とぼやく

パターン=周りが自分の思い通りに動かないとき
構造=自分のやり方以外はくだらない
メンタルモデル=自分は人より優れている

人と生きる言語化

現象=一緒にやっていく形を模索できる

パターン=自分と違うやり方を見たとき
構造=人によっていろんなやり方がある
メンタルモデル=人には優劣ではなく違いがあるだけ