AKB48から考える「もっといいアイドル」の意味

コンセプトの効果 「定まる」

「自らが企てを形作っていくべき、価値の方角が定まる」というのが1つ目の効果です。価値の方角が定まることで、それにのっとって「いつ」「どこで」「誰に対して」「何を狙って」「どんなことをやるのか?」といった、企画の諸変数を何にのっとって決めていけばいいのかも定まります。

コンセプトの対象である企画における「認知=人にそれを何だと思ってもらいたいのか?」「尺度=何を追求すればいいのか?」「決定=どう決めたらいいのか?」のそれぞれの方角が定まるともいえます。

AKB48を例に考えます。

たとえば、まだ何も企てが始まっていない最初の段階で、「これまでにない、もっといいアイドル」を考えようとしたとしましょう。さて、“もっといい”とは、何において“もっといい”のでしょうか?

「もっと踊れる」「もっと歌がうまい」「もっとスタイルがいい」「もっと集客できる」……さまざまな尺度における“もっといい”が考えられますが、コンセプトなしに考えつくそれらの尺度はたいていの場合、すでにその領域で“良いとはこういうことだ”が当たり前になっている、既存の尺度です。

既存の尺度で「もっといいもの」を作ろうとしても、人々の認知そのものをリセットする企てを作ることは難しいのではないでしょうか。

確かに、何かいい感じだし最近デビューした新しいグループなのはわかるけれど、よほど突き抜けた優位性、それこそまったく別物に見えるくらいの強さがなければ「何か見たことがある感じのグループ」と思われてしまうのではないでしょうか。

これでわかるのは、“新しさ”というのは、新発売だとかデビューしたてといった“事実としての新しさ”ではなく、「新しい存在に見えるのか?」という“認知の新しさ”によって規定されるということ。

つまり、企画する側が決めることではなくて、受け取る側がそれを新しいと感じるかどうかで決まるということです。そして既存の尺度の延長線上で、「認知としての新しさ」を受け取ってもらうのは、なかなか大変です。

効率的なだけでなく、悪しき意思決定にハマらなくなる

AKB48が持ち出したコンセプトは「会いに行けるアイドル」です。これは、それまでのアイドル業界にはほとんどなかった「会える」という、アイドルに対しての新しい認知を掲げたということ。

「アイドルとは、会えないからこそ価値があるのだ」というのがそれまでのアイドル業界の認知で、「高嶺の花として手が届かない存在であるがゆえに、人々はそこに憧れを抱くはずだ」という、ある種の神秘性や偶像性(元々idolというのは、偶像という意味)を良しとしていました。

そんなこれまでの認知に対して、「会いに行けるアイドル」というコンセプトは、完全に「アイドルに対しての人々の認知をリセットする」コンセプトでした。認知がリセットされれば自ずと、「アイドルにおける“良い”とは何か」という尺度もリセットされ、新しい方角に定まります。

秋葉原のAKB48カフェ&ショップ
写真=iStock.com/Yongyuan Dai
※写真はイメージです

「歌うま度」「踊れる度」「美スタイル度」などの既存の尺度の中に突如、「会える度」という新しい尺度がもたらされたわけです。そして、この尺度によって、「では、この新しいアイドルは実際には、何をしていくべきなのか?」という、具体アクションの決定も、定まっていくわけです。

認知(こう思われたい)=「このアイドルには“会える”」という新しい認知
尺度(これを追求しよう)=どれだけ「会えるのか」という新しい尺度
決定(よってこうするべき)=実際に会える具体アクションという、新しい決定

3つのリセット項目に対して、「どういうリセットをするのか?」という“軸が定まる”わけです。

定まることで

「効率が上がる」
・論点にエネルギーを集中できるので、濃度が上がる
・決定までもスムーズになり、時短になる
・複数の関係者をまたがる合意形成にも耐え得るようになる

×
・「独自性が高まる」
・「悪しき意思決定」にハマらなくなる
・これまでの常識では採択できないようなアイデアを採択できるようになる

ここでいう「悪しき意思決定」とは、大きくは次の4つです。

1.「鶴の一声」
偉い人がいいと言ったものを採択する。ここでいう「偉い人」とは、上司や社長だけでなく、力関係が上の取引先なども含まれます。

2.「事例ベース」
「よそはどうなの?」「競合他社はどうなの?」「シリコンバレーはどうなの?」など、答えをよそに求めて、それに引っ張られて採択する。

3.「多数決」
意思決定にかかわる人たちで投票をして採択する。

4.「止むに止まれず」
かけられる時間をはじめとするリソースが枯渇するまで決められず、最後に仕方なしに決める。