長男を出産して実家に戻ると、母乳の出が良くなかった田中さんに対して父親は、「お母さんどうしようもないね。悪いお母さんだね。お腹空いてるだろう? かわいそうに」と笑いながら初孫に話しかける。一方母親は、「栄養失調になったらどうするの? 産婦人科に連絡して! どうにかしなさい!」とヒステリックになり、産後の田中さんを精神的に追い込んだ。

私も出産後、母乳の量が少なく、娘の体重がなかなか増えなかったときは、誰に責められたわけでもないが、精神的に追い込まれた。おそらく多くの母親は、母乳の出が悪かったり、上手く子どもをあやせなかったりなど、母親としての不甲斐なさを感じる度に自分自身を責める。そんなときに周囲の人から責め立てられれば、「この先母親としてやっていけるのか」「向いていないのではないか」などと余計に苦しみ、もともとない自信を失いかねない。

ましてや産後の女性は、精神的に不安定になりやすい。産後うつの危険もある。田中さん曰く、父親は冗談のつもりで言ったというが、全く笑えないばかりか、母親に至っては、経験者であるはずなのに、娘に配慮のかけらもない。こんな環境で初産の産後を迎えなければならなかった田中さんには、心から同情してしまう。

赤子の世話は体力勝負だ。田中さんは、両親が「母乳が足りないダメな母親だ」「泣いてばかりいて癇癪が強い子だ」などと言いたい放題のため、カチンと来て言い争いになってしまうことが多く、体力的にも精神的にもすり減っていった。夫は、「3ヶ月くらいまでゆっくりして来ていいよ」と言ってくれたが、自分のためにも息子のためにも良くないと思った田中さんは、1ヶ月健診を受けると、夫の待つ家に帰った。

借金と浮気

一方、義実家で田中さんは、とても大切にされていた。中でも義母は、出産したばかりの田中さんを気遣い、家事のほとんどをやってくれた。だが、誰も知らない土地での生活は寂しかった。夫は朝早く仕事に行き、夜は21時くらいまで帰って来ないばかりか、土日もいない日が多かった。

結婚後も田中さんは、母親のために夏に2~3ヶ月帰省していた。実家でやることは家事がほとんどで、母親の調子が悪い日はトイレや着替え介助なども行い、通院日には付き添って、一緒に医師の話を聞いた。

「当時母は妄想や幻聴に悩まされていたので、母のメンタルの支えというか、愚痴や暴言を聞き流すような役割が大きかった気がします」

長男が1歳になると、田中さんはパートで保育士の仕事と、介護士の仕事を掛け持ちでスタート。

「介護の仕事はソーシャルワーカーになるためのステップでしたが、パーキンソン病の母のためにも、介護技術を身につけたくて介護の仕事に就いたという理由もあります。また、介護の仕事に就いて母の介護に活かすことができたら、『両親に認められるのでは?』という思いもありました」

家事は義母がやってくれるとはいえ、保育士も介護士も体力が必要な仕事だ。帰宅すれば、息子の相手もしなければならない。田中さんのバイタリティあふれる様子には、感服する反面、危うさも感じる。

やがて田中さんは次男を妊娠し、出産。長男のときの反省を活かして、里帰り出産はしなかった。

結婚から3年ほど経った頃、田中さんは夫が浮気をしているのではないかと疑い始めていた。しかし2歳の長男は夫が大好きな様子。次男はまだ生まれたばかりだ。「世間体を気にする両親の反対にもあうだろう」と思い、躊躇しているうちに、年月が流れた。

そして結婚から6年後、1度目の浮気が確定。ラブホテルの領収書が見つかり、田中さんが夫の携帯電話を盗み見したことでわかった。そのうえ、約300万円の借金まで発覚。夫は「もう二度と借金も浮気もしない」と言い、再構築することに。