完璧を目指すのは無理
また子育てをはじめてみると、自分には常識が足りないと気づくことも多く、落ち込むことも増えました。
たとえば、ひとり目の子どもの小学校入学式のこと。利き手によって右前、左前が選べるように、左右どちらにもついていた制服のボタンを、両方つけたまま登校したのです。近くのお母さんから「あら、これは右利き左利きかで、どちらかを取るんですよ」と教えられ、恥ずかしい思いをしながら、急いで片側のボタンを取ったものです。
学校でも、生徒との距離がうまくつかめず四苦八苦する毎日。おろそかになっていく家事。自己嫌悪、もっとがんばらねばという気持ち。しかし体力的には無理ができない体。
そんな状況で2人目、3人目と育てながら働き続け、とうとう家事のいいかげんさは、絶頂期。掃除にかまわなくなり、ふとしたときに後悔して、まとめて掃除。案の定、ぜんそくの発作が出て、掃除するんじゃなかったと後悔……のくり返しでした。
とうとう、どうあがいても完璧を目指すのは無理なのだとようやく気づき、いっこうに片づかない家事に目をつぶることを覚えました。
幸いといっていいのかわかりませんが、夫も子どもたちも、少しくらい家が散らかっていても気にしない人たちでしたから助かりました。
ささやかなことに小さな工夫をする
完璧でなくていい。
そう気づくきっかけをくれたのが、今は亡き大切な友人の言葉でした。
いつも笑顔を絶やさなかった彼女は、「そうめんの錦糸卵をつくるのは手間がかかって大変」と、ふとこぼした私にこう教えてくれたのです。
「あら、わざわざ錦糸卵にしなくても、スクランブルドエッグで十分よ!」
「卵を薄焼きにして細く切って……」と思い込んでいた私には、目からウロコでした。それ以来、わが家のそうめんの具はスクランブルドエッグです。コロコロ丸まった卵をそうめんにのせる楽しみも味わっています。
そうめんの具の話ですから、ささいなことではあります。でも、人生は日常の小さなことの積み重ねです。
ささやかなことに小さな工夫をする。
すべてを完璧にしなければいけないと思わない。
すべてを完璧に行うことができないのであれば、優先順位を見極めてできる範囲で全力を尽くす。そして、完璧にできない自分を許し、少しでも挑戦したことをほめる。
そうやって進んでいくのも、さまざまな場面で無理をしてしまう私たちにとっては、とても大切なことだと思います。
広島県出身。ノートルダム清心中・高等学校卒業後、広島大学教育学部在学中に、香港大学人文学部留学を経験し、国際協力・支援も志す。広島市立中学校教員(臨時採用)を経て、1983年よりノートルダム清心中・高等学校社会科教員として勤務。仏教大学通信制により、宗教科の免許取得後、2004年より宗教科も担当。2018年よりノートルダム清心中・高等学校の校長を務める。