頼れると思っていた友人に失望

ここ数年、いわゆる害のある人間関係や、それが心身の健康におよぼす悪影響についての認識が高まっています。たとえ自分の社会的サポートのネットワークは強力だと思っていたとしても、深刻な診断ほど現状を揺るがし、人間関係の本質を明らかにするものはありません。

したがって、劇的寛解を果たした人たちは、診断後に新しい人と出会い、新しい人脈を迎え入れることが重要だと報告しています。インタビューで彼らがよく言っていたように、「新しい友だちは、これまでの友だちとは違うかもしれない」ということです。

劇的寛解者の多くは、診断後に、それまで信じてきたことが崩れてしまったことに気づきます。多くの人が治療について混乱します。頼れると思っていた友人に失望した人もいれば、思いがけず支援してくれた見知らぬ人にうれしい驚きを覚えた人もいます。

どのような状況であっても、劇的寛解者たちは、恐怖や疑い、非難、罪悪感、そして死と向き合うとき、友人や家族、施術者からのサポートが自分を安定させるために非常に役立つことを知りました。

化学療法を拒否したあとに離れていった人たち

劇的寛解者は、診断されたことによって、それまでの社会的支援のネットワークを含め、生活のあらゆる面を見直すことを余儀なくされたと報告しています。ときには、厳しい現実を目の当たりにすることもありました。

劇的寛解者たちが、従来と異なる治療法を模索しはじめると、これまでの支援ネットワークのメンバーの中には、こうした治療法を脅威に感じる人もいました。これは、卵巣がんの5年間の劇的寛解者で、ラディカル・リミッションの認定ワークショップ講師でもあるアンドレア・セクストンに起こったことです。

2014年に深刻ながんの診断を受けたとき、アンドレアは長年住んでいたニュージャージー州から引っ越したばかりでした。診断と孤立が重なり、とくにその土地に社会的サポートがなかったことを考えると、彼女は勧められた化学療法に耐えられないと直感的に感じました。

そこで彼女は、勧められた手術は受けるが化学療法は拒否し、代わりにドイツのマリヌス・アム・シュタイン・クリニックで代替治療を受けるという決断を下しました。

「友人たちはみんな、私がよく考え、よく調べた上で選択したことを、きっと理解してくれると確信していたのです。私はとてもナイーブでした。無条件に応援してくれる友人もいたけれど、私が健康に対して無謀なことをしていると思う友人もいました。

私は、彼らががんを恐れていることに気づいたんです。彼らが私の選択した治療を支持できるのは、彼らが納得できる治療法の場合だけでした。

そこで、私は自分の周りに想像上の円を描き、その円の中に入る人と入らない人を決めました。私は、その円の外側にいる人たちを見分けるのがとても上手になりました。彼らは、私ががんの経験について何か話しても、いつも話題を変えたり、私の目を見ようとしなかったり、黙り込んだりする人たちでした。

でも、それでもいいんです。円の中にいる人たちだけで十分なんです」

劇的寛解者が報告するもう一つの興味深い事実は、治療の決断を自信を持って受け入れるほど、友人や家族もその決断を喜んで受け入れることです。治療の決断を発表したあと、円の中の友人を失ったとしても、その代わりに、より強くて協力的な新しい友人グループができることはよくあります。