不安と戦わない、という方法

ただ、不安と戦わない、という方法もある。目を逸らしておく、という戦略はとても有効なものだ。忘れるとか、勘違いするとか、幻想を抱く、ということができるのは、人間にとっての福音なのかもしれない。論理的に考えれば共有できるはずもない感覚を、誰かと共有していると一瞬でも思えることがあったら、それが幸せというべきものだろう。おいしいものを食べて、別々の味をきっと感じているのに違いないけれど、おいしいね、と言い合えること。それは、とても幸せな刹那ではないだろうか。

存在論的な不安は根本的には死によって解消される。しかし、生きていることで感じられる、ちょっとした刹那の幸福の連鎖を味わい続けることが、もしかしたら、生きるということの意味なのかもしれない。

中野 信子(なかの・のぶこ)
脳科学者、医学博士、認知科学者

東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年、東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。著書に『サイコパス』『不倫』、ヤマザキマリとの共著『パンデミックの文明論』(すべて文春新書)、『ペルソナ』、熊澤弘との共著『脳から見るミュージアム』(ともに講談社現代新書)、『脳の闇』(新潮新書)などがある。