人が「そこにリスクがある」という話を好む理由

しかし、現代に生きる人間たちにとって、リスクとは何だろうか。ご存じのとおり、人間にはもはや天敵が存在しない。天敵になり得るような生物は、人間自身だけだといえる状態が長らく続いている。

未来を予測したとき、そこに大きな危険を想定することが困難であるとしたら。そのとき、自動的に生理的に生じてしまう不安感情の向かう先は、どこになるのだろうか?

人間たちの脳に備え付けられた不安というアンテナは、大きな、あるいは確実なリスクを検出することができなければ、その感度を上げて、本来ならリスクにはなり得ないようなことをわざわざ拾い上げてしまうようだ。

たとえば、近い将来に起こり得る災害の話題や、逸脱した行動のために共同体やモラルを破壊しかねないような人物の話を、多くの人は好んで聞きたがる。さらには、戦争になりかねない不穏な空気が国際的に漂っているというニュースや、真偽が定かでないような終末論にいたるまで、人間は「そこにリスクがある」という話を好む。リスクを検出すると、かえってそのことによって満足するようにすら見える。不安というアンテナの役割が、そこで一段落するからかもしれない。

満たされないと感じさせる脳の恐ろしい性質

恐ろしいのは、こうしたリスクを検出する不安感情の機能が、自分自身の存在意義や内面に対して発動してしまうときだ。人間の脳は自動的に、自身の周りにネガティブな状況を構築してしまう性質を備えている。

第三者から見れば、自分は人が羨むほどではなくとも、特に不自由のない生活を送っているかもしれない。しかし実情は、満たされない。孤独だ。何かが足りない。何のために生きているのかわからない。私の内面は、空洞だ。生そのものが、ゆるやかだが完全な自殺のプロセスであるかのように思える。