「ありがとう」と「サンキュー」は意味が違う
そもそも、「ありがとう」という言葉の意味を履き違えている点が原因だと思います。
日本語における「ありがとう」の語源は「有ることが難い」という意味です。そのことが希有であるというのが本来の意義なのですが、おそらく多くの人が、英語のサンキューと同義にとらえています。「感謝する」という動詞の「thank」と、「あなたに」を指す目的語の「you」です。つまり、「あなたに感謝します」という意味での「ありがとう」を意味しています。
日本語における「ありがとう」は実はもっと深い意味をもっていて、これは大袈裟にいえば、私たち人間の存在論に関わる言葉なのです。
「人」という字に「間」と書いて人間です。この言葉に示されるように、私たち人間は、他のものや他人との関係性の「間」を生きています。たとえば、自己紹介をしようと思うとき、「私は、福厳寺住職の大愚です」「○○の息子の大愚です」など、自分以外の何かとの関係性を明示することで初めて、自分という存在を語れます。
自分の周囲にある縁は「有ることが難い」
誰一人として、自分一人で存在できる人間はいない。もしも両親が出会わなければ、自分の命はこの世に誕生しなかったでしょう。もしも両親の両親が出会わなかったら……とさかのぼっていくと、たった一つの出会いが変わっていただけでも、いまの自分という存在はなかったかもしれないのです。
そんな偶然に偶然が重なって生きている世界において、触れる縁はどれも奇跡的なことであり、まして八十億人近くいる人間のなかから、家族になったり、恋人になったり、あるいは関係性をもつ縁が得られること、それがいかに「有ることが難い」ことであるか、想像できると思います。
関係性のなかを生きている私たちは、自分一人で生きていくことはできません。食べ物として動植物の命をいただき、誰かがつくった道具を利用して調理し、木材を使って職人が造った家で衣食住を満たす。他の人の力を借りなければ、生きていくことはできないのです。
この真実を正しく見ることができると、「お金を払ったから感謝しなくてもいいんだ」という考え方が、必ずしも正論ではないことがおわかりいただけるのではないでしょうか。「してもらってあたりまえ」なことなど、何一つないのです。