中国を「英国の敵対勢力」と表現

また同じく昨年11月、中国・上海でロックダウンに対する抗議デモを取材していた英公共放送BBCのエド・ローレンス記者が警察から暴行を受け、一時拘束された事件が起きた。スナク首相は当局の対応を非難したほか、中国政府の弾圧についても市民らを支援する姿勢を見せた。

スナク首相は中国を「英国の敵対勢力」と表現し、「われわれの価値観や利益に対して課題を突きつけており、中国がさらに大きな権威主義に向かうにつれて、より深刻になっている」と指摘。「長期的な視点を持って対抗する必要がある」と、中国に手ぬるい姿勢はとらないとの立場を明らかにした。

こうした動きから感じとるに、英国として、対中関係において気遣いも忖度もなく「嫌いなものは嫌い、嫌なものは嫌」というスタンスをとっている。言い換えると、中国の顔色を伺いながら外交姿勢を決めざるを得ない国々の姿勢とはまったく趣が違う。

では、「黄金時代」とはいつのどんな状況を指すのか。筆者は2008年の夏から英国に住んでいるが、その間、英中関係にどんな動きがあったのか、改めて記憶をたどってみた。

チャイナマネーがどんどん流れ込んでいたが…

2008年夏に開催された北京五輪の閉会式で、当時、ロンドン市長の職にあったボリス・ジョンソン元首相が次期開催地として五輪旗を北京市長から受け取った。当時の英国政府は、五輪を引き継ぐ国・英国として積極的に中国でPR活動を実施。おりしも中国国民全体の所得水準が上がる時期と重なったこともあり、中国人富裕層の子息が一気に英国留学に向かったのもその時期だ。

2010年5月の総選挙で労働党のブラウン政権が倒れ、政権交代で生まれたキャメロン保守党政権は、対中接近をさらに明確にした。時を同じくして、当時ロンドン市長だったジョンソン元首相は中国資本のデベロッパーとの大規模不動産開発計画をぶち上げ、新しい街を作ると発表した。

一方、金融面では2014年、人民元取引の決済銀行(クリアリングバンク)がロンドンに設立され、オフショア人民元取引の拠点に。このことが人民元の国際化を後押しする格好となり、2022年にはオフショア人民元取引高でロンドンは香港に次ぐ地位につけた。

ただ不動産開発に関しては、ロンドンの予定地が計画発表からおよそ10年を経た現在、建物が一部完成したものの誰も入居せず空き家状態となっており、計画は事実上頓挫している。こうした状況にロンドン市民からは不満の声が続出していた。