母親としての評価が気になってしまうときはどうしたらいいのか。高校生の双子を育てる翻訳家でエッセイストの村井理子さんは「義母は現在認知症で、完璧な主婦で、完璧な母で、完璧な妻だった自分を忘れているが、実にしあわせそうだ。私は自分自身のために、完璧に楽しい人生を送ることを目指す」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、村井理子『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。

暗い気持ちで外を見つめる女性
写真=iStock.com/kazuma seki
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誰かのための完璧ではなく

子どもの学校の先生の目が怖い。何が怖いって、放任主義の母親、甘いだけの母親、いい加減な母親、ダメな母親だと思われるのが怖い。先生はそんな目で見ていないのかもしれない。でも、子どもたちへの評価が、自分の母親としての評価に直結するように思えてしまい、その勝手な思い込みが子どもたちに余計なプレッシャーを与えているのかもしれない。

母親としての評価が、自分の主婦としての評価に繋がるように思える日もある。

家が汚れているから、料理が下手だから、洗濯が間に合わないから、子どもたちは学校でじゅうぶんな力を発揮できず、家族は仕事に没頭できないうえ、家計は苦しいのではないか。

私のように全力を否定する人間でも、こう考えてしまう時期は確かにあった。でもいまはもう、そうは思わない。完璧な母親、完璧な主婦なんて、目指しても意味はないと思うからだ。

完璧だった義母がくれた教訓

3年前から義理の母の介護をしている。

義母は完璧な主婦だったし、完璧な母だったし、完璧な妻だった。家のなかは常に磨き上げられていたし、息子は真面目な社会人に成長したし、夫は料理人として高い評価を得た人物で、博打などとは無縁のドがつく真面目な人だった。義母自身も、習いごとの教室を持ち、多くの生徒に囲まれ、しあわせそうに暮らしていた。

それなのに、義父が倒れたのをきっかけに認知症となり、彼女にとって黄金の日々と思われた時代の記憶は失われた。いまの彼女に強く残っているのは、10代の頃、故郷で過ごした日々の記憶だ。若かりし日の楽しい思い出を語る彼女からは、やり手の姑の面影は微塵みじんもない。それなのに、彼女は実にしあわせそうに、中学生時代のできごとを語り続ける。以前のように、どれだけ自分が完璧な主婦か、妻か、母かなんてアピールすることは、これっぽっちもない。

私の目から見た彼女の完璧な姿は、いまの彼女にはなんの意味もないようだ。80年を超える長い人生で、彼女がもっとも輝いていたのが10代の頃であったのなら、完璧な母、完璧な主婦の姿なんて、なんの意味も持たない。だから私は、誰かのために完璧を目指すのはやめた。

完璧な母、完璧な主婦なんて、もういいのだ。

私は自分自身のために、完璧に楽しい人生を送ることを目指す。

義母が私に与えてくれたもっとも重要な教訓は、こういうことだった。