なぜ子育てで傷つき痛みを感じるのか
子育てに悩んで、葛藤し、心のなかでようやく折り合いをつけられたとしても、腹が立つときは腹が立つものだし、ひどく傷ついてしまうこともある。痛みを伴う怒りほど苦しいものはない。
なぜ子育てで傷つくのか、痛みを感じるのか、いまだに理解できないでいる。だから迷うし、子どもとのすれ違いも起きる。親のこの状態を「毒」と呼ばれたら、返す言葉もないうえに為す術もない。親ガチャのハズレだと思われていたら、それこそ絶望だ。
怒りの脳内スイッチを切る
自分の心がゆっくりと、しかし確実にボロボロになっていっていると認識したら、脳内に大きなスイッチを想像して、このスイッチを完全にオフにしてしまう。そうすることで、子育ての悩みから一定の距離を置くことができると自分に言い聞かせている。
これには少し訓練が必要だけれど、どうしても怒りが湧いてくるとき、そしてその怒りが事態を悪化させるだけだと理解しているとき(ほとんどの場合、理解している)、急いでこの巨大脳内スイッチを切るのだ。切るというより、バシンと叩いて潰してしまう。あるいは足で、思い切り、バシン! と、スイッチを踏みつけてしまえ! 一時停止だ! いったん休憩だ! そして犬を連れて散歩に行くのが一連の作業だ。
「どんな問題でも回避させてしまう脳内のスイッチ」を持つことで、燃え上がる脳内火事の消火活動には毎回成功している。あきらめて投げ出した瞬間に、答えが見つかることは多々あるのだ。
子育てには距離と時間が大切だ。
食べてくれたらそれでいい
息子の弁当を作ることが多々あるのだが、以前のようにある程度凝ったメニューを考えることは、もうすでにあきらめている。小学生の頃は、子どもの周りにいるであろう同級生の目を若干意識して作っていたものの、高校生となったいま、そんなことはどうでもいい。食べてくれればそれでいい。
最近わが家で流行っている具材の組み合わせ(比較的楽しく作ることができる)のが、一風変わったおにぎりだ。以下がとても喜ばれるメニューだ。
焼いたソーセージと目玉焼き
ドライカレーと目玉焼き
焼き肉と野菜炒め
ツナと甘い卵焼き
おにぎりというよりも、一時期流行ったおにぎらずに近いかもしれない。ラップの上に海苔を置き、炊飯器から直接米を載せて、広げ、塩を振る。そこに具材を載せて半分に折りたたみ、それをラップで包むだけなのだが、見た目も楽しく、味もいいそうだ。
このメニューがあるというだけで、朝の弁当作りが重荷ではなくなった。具材の組み合わせで面白いものが浮かび上がると、ちょっとうれしい。この、ちょっとうれしいが料理の醍醐味で、それを忘れつつあった私も、最近は少し気持ちが楽になってきている。
たかが弁当作り、されど弁当作り。のしかかってくる「また弁当を作らなければならない」というプレッシャーをはねのけるには、戦略が必要なのだ。それでもだめなら……千円渡そう。子どもはそのほうがうれしいかもしれない。
1970年静岡県生まれ。琵琶湖のほとりで、夫、双子の息子、愛犬ハリーとともに暮らす。著書に『兄の終い』、『全員悪人』、『家族』、『犬ニモマケズ』、『本を読んだら散歩に行こう』など。訳書に『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(KC デイビス著)、『エデュケーション』(タラ・ウェストーバー著)、『ゼロからトースターを作ってみた結果』(トーマス・トウェイツ著)、『黄金州の殺人鬼』(ミシェル・マクナマラ著)ほか多数。