※本稿は、中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
あのスーパースターの笑顔の源
新聞の投稿に目が留まりました。
「持病があるので新型コロナウイルス感染にはとくに気をつけて外出はスーパーマーケットへの買い物と、近所の散歩だけになっており、ワクチンを打った後も家で過ごすことが多い。そんな中で、大きな楽しみを見つけた」というのです。
75歳の女性です。さて「大きな」という形容詞のついた楽しみは何でしょう。
答えはテレビで大谷翔平君の活躍を見ることなのです。「打って、投げて、ほほえんで、なんてすてきで、かわいいのでしょう。すっかりとりこになりました」。
本当にそうですね。アメリカのオールスター戦に投打の二刀流で出場するのはベーブ・ルース以来と聞いて、野球選手としてのとび抜けて優れた才能に驚いています。
でも、大谷選手の真の魅力は、「チームの人たちとコミュニケーションをとる時のうれしそうな顔」と投稿者が書いていらっしゃるように、野球を心底楽しむと共に仲間たちとプレイできることを心から喜んでいる気持ちが素直に出てくる様子です。それは見る者の気持ちまで生き生きさせます。
スポーツは本来楽しむためのもの
今は競争社会です。スポーツは勝敗がわかりやすいこともあって、アスリートたちは結果を出して評価されることを目的に日々の訓練に励んでいるように見えます。
競争を意識した途端に無理をしてでも勝たなくてはならないという気持ちになり、辛くなるでしょう。スポーツは本来楽しむもののはずですのに。もちろん、もっと技を磨きたい、上手になりたいという気持ちとそのための努力が、スポーツの楽しみでもあり、納得のいくプレイができた時の喜びは何ものにも替えがたい喜びであることは私もわかっています。