『あしながおじさん』の教え

実は私にとってのバイブルとも言える本があります。J・ウェブスターの『あしながおじさん』です。この物語の主人公ジュディとは毎日心の中で話し合いをしていますので、ここでもちょっと彼女に登場してもらいます。

孤児院(今はこの言葉は使いません。児童養護施設です。ただお話の中ではこの言葉が使われており、同じくらいの年齢なのに一人ぼっちになってしまった状況を思いながら読んだ思い出と重なりますので)暮らしをしていたジュディは、名前を明かさない評議員の一人の援助で大学へ行くことができます。応援へのお礼として求められたのはただ一つ、学校生活の報告の手紙を書くことだけです。作家志望のジュディのことです。日々の報告や社会について考えたことなど、新しい生活で得た思いを手紙にのせます。そこに書かれていることがどれも私自身の思いと重なり、仲間がいるようで心強いのです。

ジュディも競争は嫌いです。その部分を引用しますね。

「たいがいの人たちは、ほんとうの生活をしていません。かれらはただ競争しているのです。地平線から遙かに遠い、ある目的地(ゴール)へいきつこうと一生けんめいになっているのです。そして、一気にそこへいこうとして、息せき切ってあえぐものですから、現にじぶんたちが歩いている、その途中の美しい、のどかな、いなかの眺めも目にはいらないのです、そしてやっとついた頃には、もうよぼよぼに老いぼれてしまって、へとへとになってしまってるんです。ですから、目的地へついてもつかなくても、結果になんの違いもありません。あたしは、よしんば大作家になれなくっても、人生の路傍にすわって、小さな幸福をたくさん積みあげることにきめました」(遠藤寿子訳、岩波少年文庫2、一九五〇年)

暮らしやすい社会への鍵

大事なのは競争ではなく自分が好きなこと、大事と思うことを思いきりやることではないでしょうか。そこでどんなことができるか。それは人それぞれですけれど、皆がそのようにして生きている社会は、今よりずっと暮らしやすく、笑顔がたくさんになるに違いありません。

そして笑顔こそ、暮らしやすい社会を生んでいく鍵だと私は思っています。

中村 桂子(なかむら・けいこ)
JT生命誌研究館名誉館長

1936年東京生まれ。理学博士。東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻修了。国立予防衛生研究所をへて、71年三菱化成生命科学研究所に入り、日本における「生命科学」創出に関わる。しだいに生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始することになった生命科学に疑問をもち、独自の「生命誌」を構想。93年「JT生命誌研究館」設立に携わる。早稲田大学教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。